黙示録3:20について考えたいなと思います。

 

イエスは扉の前で、私たちがドアを開けるのを待っているというのは、本当に神様の性質を表してるなと思います。

 

こんな絵画を見たことがあります。

イエスが家の扉の前で待っています。

でも、扉のドアノブは私たち側だけについているんです。

 

つまり、ドアを開けるか、開けないのかというのは、私たち次第なんですよね。

どうしてかというと、私たちには自由意志が与えられているからです。

 

イエスを迎える・迎えないという選択の自由は私たちにあるわけです。

 

神様は、決して家をこじ開けて、土足で入り込んでくるような、そんな失礼な方ではないです。

私たちが神様を迎えるのか・受け入れるのか・・・その選択肢は、常に私たちにあります。

 

強制的でないというのは、まさに神様の性質で、愛そのものだと思います。

 

他人に対して何かを期待してしまったり、こういう風にしてほしい、変わってほしいと思うとき、神様の性質から離れてしまっています。

 

神様は一歩下がって、相手が選択する自由を常に与えてくれるんです。

 

日常の人間関係にもすごく通じるなと思います。

 

神様はとても良い方です。誰もが、出会いたい方です。でも、強制しない。

 

どんなに美味しくて、どんなに素晴らしいいちごのパイができても、それを人の口をこじ開けて、入れ込むようなことは、決して愛ではありません。

 

美味しいパイが出来上がりました。いかがですか?というのが神様のやり方です。

 

家族関係、友人関係、全てに当てはまってくるなと思います。

 

神様の性質から学んで、地上での人間関係に活かしていきたいと思います。

 

今日も読んでいただいてありがとうございます☆

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