神がご自分の御子をお遣わしになったのは、裁くためではなく、世を救うためです。
つまりイエスがこのように来たのは、
世を裁くためではなく、世を救うため。
この言葉を、言葉どおりにちゃんと受け止めるってすごく大事だと思う。聖書の言葉っていうのはどの言葉もそうだけれども、自分の考えに照らし合わせて聖書の言葉を見るんじゃなくて、聖書の言葉をそのまま文字通りにちゃんと受け止める。
自分の頭の中に全くその考え方がなかったとしても、聖書が言っていることはこうなんだっていうことをそのままちゃんと受け入れる。それってすごく大切なことだと思います。
人間ってどうしても自分の意見、自分の思い、自分の考えというものがあるから、どうしても聖書の言葉を読んだ時に、自分のフィルターにかけてしまったり、その言葉を別の解釈をしたりとか、あとは言葉の中の一部だけを切り取って、自分の都合のいいように考えたりとかしてしまいがちだけど、聖書に書いてある言葉を文字通りに受け止めることってすごく大事。
私たちは大人になるにつれて、自分の考えていることがどんどんどんどん増えて、そして、神様は一人一人を個性のある存在にしたし、神様は一人一人それぞれの考え方を持ち、それぞれの感情を持つことを許された。そのように私たちをデザインしてくれたことはとっても素晴らしいこと。
だけど、その私たちの個性と聖書の言葉というものを考えた時に、あくまで私たちの考え方や反応の仕方というものは、私たちの考えや反応の仕方であって、神様が言ってることは、それとは全く異なるっていうことも多々あるということをよく知っておかないといけない。
そして、まるで子供のように聖書の言葉を吸い取っていくってすごく大事なこと。
神様がこう言ったら、それをそのまま受け止める。そこにあえて自分のフィルターを入れない。自分の考えや、自分の感情に対して発信していくのはいいけれども、聖書が言ったこと、これを自分の心に受け入れる時には、そのフィルターを全部外してそのまま受け取っていくっていうのはすごく大事なこと。
この神様がこの世に来たのは、
裁くためではなくて救う
ため。
という言葉はちゃんと文字通りに受け止める必要がある。
この世の中にはどうしてもバチが当たったとか、何か私がこういうことをしたから、こうなってしまったのだという因果応報的な考え方というのがすごく広まってる。
それはもちろん、日本という国が仏教の影響を受けていることもあるからだし、あとは仏教とかそういった宗教は関係なく、家族代々の言い伝え、文化とか習慣とかそういったものが影響していると思う。
だから、誰も何も責めるものではないし、そういった考え方が存在しているということに対しては別にそれ自体は何か悪いことではないけれども、聖書はどう言ってるかという風に言った時に、神様がこの世に来たのは、世を裁くためではなくて世を救うために来たという言葉をしっかり文字通りに受け入れる。
少なくともイエスに目を置くときに私たちは、救われようとしている。
神様は今日も、今もこの瞬間も私たちを立ち上がらせて、私たちを回復させて、私たちを本当に心から救おうとしているんだっていうことに目を向けることができる。だから、私たちは自分の考えで自分を責めたりとか、またはバツが当たったと解釈することとか、あとは因果応報だっていう風に思ってしまう、その考え方を一旦脇において、イエスを心に受け入れるなら、神様は今この瞬間も私を助けようとしていることに気づける。
今、この瞬間も私を救おうとしているということに目を向け、イエスに目を向けるなら、私は、心から希望が湧いてくる。なぜならイエスは今この瞬間も、この瞬間も私を救おうとしているってすごいことだから。
私は今日もイエスに目を向けて生きていきます。今、この瞬間も私を救おうとして下さってる神様に希望を置いて、神様に信頼をおいて生きていきます
