そうすれば、人間の理解をはるかに超えた、すばらしい神の平安を経験します。キリスト・イエスにあって、その平安はあなたがたの心と思いを静め、安らかにしてくれるのです。
ピリピ人への手紙 4:7 JCB
人間の理解を遥かに超えた、素晴らしい神の平安というものを、だれでも経験したいと思います。
人間の理解を遥かに超えた素晴らしい神の平安というのは、一体何なのかということを考える時に、皮肉的にも人間の理解を遥かに超えているのだから、私たちが理解できる範囲の中にはない…つまり言葉では説明できない、そのような平安なんです。
では、どうしたら、人間の理解を遥かに超えた素晴らしい神の平安を経験できるのかということを考える時に、この言葉は「そうすれば」というふうにつながっていますから、その一節前には何という風に書いてあったかと言うと、
何事も心配しないで、どんな時でも神に祈りなさい。そして、祈りに答えてくださる神に感謝しましょう。
ピリピ人への手紙 4:6 JCB
とあるわけです。
つまり、
1、心配をするな
2、祈りなさい
3、感謝しなさい
この三つをするように書いてあります。この三つをするのであれば、人間の理解を遥かに超えた素晴らしい神の平安を経験できると、聖書には書いてあるわけです。
私は、今アメリカに来て、ホテル暮らしをしています。そしてこれから家を探すなど、色々と整えていく段階です。色々な事が不透明で、色々なことが決まっていません。
私が心配をする理由があるとすれば、心配をする理由は、山のようにあるし、いつでも心配できます。
ここに来る前に、夫の祖父の施設に寄りました。夫の祖父は90代の後半で、昨年までは一人暮らしができていましたが、度重なる転倒があったりして、一人での生活が非常に危ないということで、今はリハビリ施設にいます。
私は約4年ぶりに夫の祖父にあったのですが、改めて時間の経過を感じました。
耳も遠くなり、思考もあまりできなくなった祖父に、私たちは日本からやってきたのだと、そして古い写真を見せながら、あなたの息子の息子が今ここにいる人だとか、そのように説明をしました。
幸いなことに、祖父は私たちを認識してくれ、そして私たちがこれからアメリカに生活することや、これから家を探していくんだということ、教会を探していくんだということ、そういったことを伝え、理解してくれました。
その時、祖父に言われた言葉が今でも心に残っています。
あなた達が行く教会は既に神様が用意してくれている
私は自分が住むエリアの教会をグーグルマップで探し、そして本当にたくさんの教会があって、グーグルマップで30件以上もヒットした時に、一体どこに行けばいいのか、どこから探していけばいいのか、毎週日曜日、毎回違う教会に行くのか、教会探しに、家探しに、色々と決めることが多くて、大変だというふうに思っていました。
私は、この祖父の言葉を聞いた時に、ふっと肩の荷が下りるというか、神様からの平安を感じました。
これからの人生の全ての事は、神様が道を示してくれる…そのことに信頼を置く時に、私があれこれ心配し、あれこれ悩み、全ての問題を解決しようと心配しなくていい…。
そうではなくて、もっと落ち着いて、心配はしないで、むしろ神様に祈って、そして今与えられている時に感謝して、今日なすべきことを着々と進めていく…。それこそが私に求められていると思うし、そうしていくことで、車のスポットライトが2 メートルぐらいずつ、前を照らすかのように、少しずつ道が拓けていくと感じました。
今私の状況というものは、もし自分の思考の中で、心配を決断するのであれば、簡単に心配モードに入ることは容易な状況にはありますが、あえて私は心配しません。
この聖書箇所で言ってるように、心配することを止め、その代わりに祈り、そして感謝をするならば、自分の理解を遥かに超えた神の平安を得ることができることを信じます。
この世の中は心配しようと思えば、心配事で溢れています。
でも、心配するかしないかは、一人一人の決断です。それに心配したところで何も生み出されません。
今日心配しないことを選び、その代わり神様に祈り、そして感謝をする…この生き方を選び続けていきたいと思います。
