今日の聖書箇所を読んだ時に、少しハッと気づかされました。
愛する皆さん。あなたがたの人生は、多くの困難と誘惑に満ちていますか。そうであれば喜びなさい。 行く道が険しければ、それは忍耐を養う良いチャンスとなるからです。
ヤコブの手紙 1:2-3 JCB
私は、自分の考え方の一つに、自分が大変だと思うこと、苦労すること、困難だと感じることは、悪だという考え方があります。
あまりいい考え方ではないので、直していきたいと思いますが、私がそのように悪いものとして捉えてしまうと、私の思考は自動的に、そういったものを排除しようと動きます。
今日の聖書箇所の中に、混乱と誘惑に満ち溢れている…それが忍耐を養う良いチャンスだというのは、自分が苦難の中にいると、あまりにもプラス思考すぎるようにみえて、そんなふうには考えられないと思ってしまうこともあります。
でも今改めて考えるのは、確かに全てをご存知の神様の目から見たら、私が人生の中で歩んでいる困難というものは、私の人格をより研ぎ澄まさせるものに、必要なのだなあというふうに感じます。
誰かが言っていたのですが、サッカーをする時に、もし相手がいなくて、ストレートにゴールに向かって進めるのであれば、それは何も面白くない…敵がいて、邪魔をされ、ボールを奪われ、そんな中でも自分のゴールを守り、ゴールへ向かう、そこに喜びがあり、楽しさがあり、でも難しさがあり、だけど達成感があるのだと言っていました。
私は自分の人生の中で、時に全ての敵を排除し、私がサッカーボールをただ一人で、ゴールに向かって蹴りたいかのような衝動に駆られることがあります。でも、神様は決してそのようなことを望んでおられない…。私がこの人生の中で、たくさんの感情を経験し、時に痛みや苦しみをも通り、そしてそういった環境の中で、私自身の人格が磨き上げられ、ますます神様に似たような性質へと変わっていくように望んでおられるのだと思います。
忍耐というのは神様の性質の一つだと思います。
神様は忍耐であるということを疑うものは何一つありません。
実際に十字架にかかられてから、2023年もの年月が経ち、それでも神様はなお忍耐をもって、私たちを許し、祈り続け、そして一人でも多くの方が永遠の命を持つようにと、導かれていることを考えると、神様が忍耐以外の何物でもないことがよくわかります。
神様が忍耐であるならば、私たちも神様と同じように忍耐を持ち、そしてまた希望を持ち、そして与えられたその日を十分に生きていこうという気持ちにさせられます。
何があったとしても、神様に対して怒ったりすることなく、そして本当の悪に対しては、甘んじて受け入れることもなく、戦うべき敵に対しては戦い、強く立ち上がるべき時は強く立ち、そして果敢に人生の冒険を進んでいきたいと願います。