神様がいるなら、なんでこんなことが起きるの?という疑問を持ち、絶対に信仰を持たない、神様を信じないという人がいます。
私は、そういう話を聞くと、う〜ん、やっぱりそう思っちゃうよね・・・なんて思って、なかなか人間中心の考え方が当たり前になってしまっていることに、霧がかかった気持ちになっていました。
まるで、クリスチャンになって、少し上からになったかのように、「そうね〜そう思うよね〜」なんて思いつつ、他でもない、自分自身が、この思い・考えから全然解放されていなかったということに気付かされました。
私は何度かこのブログでも書いていますが、完璧主義的な側面があって、問題をとにかく取り除こうとする衝動があります。
全てスムーズに、エラーはダメみたいなそういう考えがあるんですね。
基本的に、自分の思い通りにことを運ばせたい人間ですから、思い通りにならないことが起きると、すぐに葛藤したりしやすいところもあります。
要は、我がありすぎるんです。
それで、神様のことを少しどころか、大いに勘違いして、神様は私の「完璧な人生」を後押ししてくれる方みたいに思っていたところがあったようです。
神様が共にいるから大丈夫いう意味は、神様が私の共にいるから、全て私の思い通りになるということでした。
こうなると、常に、私が上、神様はその次なんです。
私が思い描く最高の人生の、応援だけを神様がしてくれればそれでいいという考えでした。神様は2歩も3歩も下がっていて、全力でバックアップしてくれればいいという考えでした。
神様第一と思いながら、神様第二でした。
他の誰よりも神様を大切としながら、神様の前に自分がいました。
自分を謙らせることが全然できていませんでした。
自分の気持ちを良くしてくれる神様であって欲しかったし、自分の問題を解決してくれる神様であって欲しかったのです。
だから、自分が第一で、自分の思い通りに進んでいるときは、ただ、「神様ありがとう!」と言い、自分の思い通りのことが起きないときは、「神様どうして?」となっていました。
神様が、ドラえもんのように、必要な時だけ、利用したいツールのようになっていました。
・・・
そのことに気づかせてくれ、悔い改めへと導いてくれたのは、間違いなく神様だと思います。
自分中心から本当に離れていきたい、神様中心で生きたいと思わせてくれたのは、神様だと思います。
でも、私はとても弱いから、また自分がそう思っても、また自分中心に戻ってしまうのではないかという思いもあります。
そう思って、自然だと思います。
人間は誰でも完璧な人はいないからと開き直りたいのではなくて、日々悔い改めをして、自分を小さくしていくこと以外に、神様を見出すことなどできないのではないかと思うのです。
生まれ持っての我は強力です。もちろん、私の個性があっていいし、私は私を大切にしていいのです。神様はそのことを望んでおられます。
でも、神様よりも前面に絶えず、私の思いを出し続けるのは、神様が用意してくださっている素晴らしい道から逸脱してしまう可能性があるんです。
神様は、私が考えるより、はるかに素晴らしいことを考え、私が考えるより、はるかに素晴らしい計画を持っています。
それに対して、思いっきり信頼していきたいのです。
神様の前にもっともっと低くなれるように祈っていきたいと思います。