今すごく歯が痛んでいるところがあって、歯医者に何度か行っているのですが、虫歯ではなく、知覚過敏で、神経部分がビリビリ痛むんです。
何度か歯医者に行って、薬を塗ってもらっているのに、なかなか症状が治りません。
病院に行く=治るをいつも期待しているから、なかなか思うようにいかないと、イライラしてきます。
昨日、かなりの痛みがあった時に、「あ、でも痛まない歯があって本当によかった」とようやく思えました。
昨晩、カレーを作ったのですが、一つの歯を除いて、全て問題がないので、食べられるんですね。おかわりもできるんです。
それって、すごくありがたいことだなとようやく思えました。
痛みがある時には、痛みにフォーカスしてしまいます。この痛みさえなくなれば・・・と思ってしまいます。
まるで痛みが出てきた歯を睨み付けるように、邪魔者扱いしてしまいます。
でも、今は痛むこの歯も何十年も何十年も、私と共に人生を歩み、私を支えてくれたことを思うと、今起きている痛みが原因で、悪者扱いして、そして、元気な良い歯も全て、あるのが当たり前みたいに思って、問題だけを取り除きたい!とフォーカスするのは、なんだか違うなと思いました。
同時に、私は、同じようなことを神様に対してもしているなと思いました。神様がこれまでどれほど守り、どれほど私を導き、助け、恵んできたかは計り知れないのに、何か一つ問題が起きると、その問題だけを見て、ひどい時は、「神様、どうして?」という態度に出てしまう・・・。
暗闇だけにフォーカスする時に、光が全くなくなるのではなくて、自分の目が、暗闇ばかりを一生懸命見ようとしているから、周りにある光にさえ気づかないほどに、近視眼的になっているのは自分自身であるということを、よくよく認識するべきだと思います。
よく、ノンクリスチャンの人から、自分は神様を信じられない。神様はいるのなら、どうしてこの世に悲惨なことが起き続けるのか・・・という人がいます。私はそう思い人の気持ちがよくわかります。私も同じような疑問を持ったことがあるし、また自分の身に起きた時には、今でも現在進行形で持ってしまうのが自然な私の反応です。
でも、今は、それも自分が結局何を見ようとしているかにかかっているのかなと思います。
どうして?なんで?そう思うことはあるけれど、自分の肉の目は、本当にフェアではなくて、その問題だけを自己解釈で注目し、周りにある、良いものに目を留めない、留められない目になってしまっているのではないかと思います。
神様は人間の理解を超えた方です。私にはわからないことがある。このことをまずどこまでも、徹底的に受け入れたいと願います。そしてその上で、時に私の目が彷徨い、暗闇にしかフォーカスしない時があっても、神様は物事の全てを見ている、主のやり方がある、そして、神様は良いお方であるということに、全面信頼して、今日も生きていきたいと願います。