私は、夫に対して、
「幸せになってほしい」
「幸せでいてほしい」
という思いがすごくあるんですね。
それはかなり強い思いで、注意が必要なほど、強すぎる思いでもあるんです。
でも、この思いというのは実はとても失礼で、相手を傷つけ、相手を侮辱する思いでもあるということに気づきました。
なぜなら、
「幸せになってほしい」
「幸せでいてほしい」
と強く思う状態の時というのは、私が、現実として、相手は、
「幸せでない」
ということを、私が認めてしまっている時なんですよ。
人が、幸せか、幸せでないか、これを決める権利は私には全くないにも関わらず、私が裁いていたんですね。
そして、同時に、人は、落ち込む権利だって十分にあるんです。
私がよく夫に、「幸せになってほしい」という感情を持つ時というのが、夫が落ち込んでしまっている時です。その時、私のまるで夫の感情を跳ね返そうとするこの思いというのは、励ましでも慰めでも、癒しでも全くなく、ただの押し付け、ありのままを受け入れない、非常に人工的な、神様から全く離れている思いなんです。
神様って、押し付けがましくないんです。
もちろん、幸せを願ってくれているけれど、私が泣いている時に、「早く立ち上がれ!」と言わないんですよ。
私は以前、本当に失意の底にいた時に、神様に、「私がどうしてこんな状況にいるのー!!!」って泣き叫んだことがあるんですよ。
その時、神様は、「立ち上がれ!」とは言わなかったんですね。そうではなくて、私はこれは自分の家の階段で見たビジョンなんですけれど、神様が私と同じように、それよりもひどく、泣いていたんですね。
それを見せられた時、私の涙は止まったんです。
心の底から、私の気持ちを受け止めてくれる人がいる、心の底から、私をわかってくれる人がいる、それを知った時に、もう、自分を苦しめていた状況、それはどうでもよくなってしまったんです。
立ち上がる勇気が湧いてきたんです。涙を拭く準備ができたんです。
夫に対しても、この時、神様が私に接してくれたように、接したいと願います。
「幸せになって!」
そんな言葉はもう絶対に言いたくないと思います。幸せというものは感じるものであり、人から命令されるものではないと思います。
私の夫が痛みを負っている時には、黙って、寄り添い、見守りたいと思いますし、夫が幸せいっぱいの時は、共に笑って、一緒にその幸せを十分に共有したいと思います。
喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。
ローマ12:15