詩篇68:19

 

"ほむべきかな主。日々私たちの重荷を担われる方。この神こそ私たちの救い。セラ"
 
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私の意識が、今自分にはないもの、またはこれから欲しいものに向かいそうになる時、私はこの聖句を思い出します。最近よく思うのですが、当たり前のように朝起きて、身体が動いて、仕事に行く気力もあり、食事も作る気力もあり、勿論それらをする体力があり、またこうして、ブログを書く時間があること…本当に与えられ、守られているとすごく感じます。
 
目に見えない領域で、どれほど主が私たちの重荷を担ってくださっているか、これは計り知れません。私はつい先週まで、右手の痺れがあったのですが、心当たりはあるものの、長引く痺れが心配になり、脳神経外科で診てもらったところ、異常はなしと診断を受け、診てもらう病院が違ったかなと思いつつ、過ごしていたら、いつの間にか手の痺れはなくなりました。
 
時間が癒してくれるというのは、よく経験しますが、まさに今回も時間の経過と共に癒されました。そんな時に思うのが、この痺れの最中も、神様が私のためにどんなに働いてくださっていたかを思うのです。
 
痺れがあっても、日常の生活が守られ、何よりも恐れや不安から心が守られ、これからの回復を信じられたこと、神様の支えがあって、神様が私の重荷を担ってくださったからこそだと感じます。
 
神様は、決して、大変なとき、苦しい時だけに、まるでスーパーマンのようにやってきて、重荷を担われる方ではなく、間違いなく、良い時、一見何もないようにみえる平穏な日々の裏で、すさまじく働いてくださり、重荷を担い続けてくださっている方だと感じます。
 
当たり前のような生活が当たり前のように、日々守られていること、ここに、神様のわざをしっかり見つめていきたいと思います。