ルカ2:49
するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
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神様はどんな時にも、父の家にいる、光の場所にいる、このことに対しては、絶対的な信頼を置くことができます。でも、私自身に対しては、どんな時にも、父の家にいる、光の場所にいるとは、とても断言できません。
そしてこの聖句を読んだ時に、もし他の誰かが、私を探す時に、このイエスのように、堂々と、「必ず」父の家にいますよと、断言できるほどに、強い信仰を持ち、日々を歩んでいきたいと心から感じました。
私は朝起きてから、必ず神様に話しかけています。自分の新しい1日が始まる一番最初に、一番大切なものを迎え入れないと、その1日はとても不安定で、めちゃくちゃにしてしまう可能性が高まるからです。
自分がどれほど父の家に留まろうと思っても、自分の力だけでは、どうしても、闇に引きずり込まれそうになることがあります。それは怒ってしまうことがあるとか、イライラすることがあるとか、そういう感情のことではないんです。感情に、いい悪いはありませんし、別に感情自体はいいんです。
そうではなくて、気づいた時、人生の中で最も大切なものや、気にかけていることが、神様以外のものになってしまっていることに気づく時が闇に引きずり込まれそうな時です。聖書では偶像礼拝と言いますが、心の偶像礼拝、自分が神様以外のものに絶大な価値を置いてしまうことほど、危険で恐ろしいものはないと思います。
だから、私は絶えず父の家に留まる必要があるのだと思います。そして、この留まることすら自分の力ではできないから、神様の力を借りながら、光の場所へと留まらせて下さいと日々祈ります。たとえ試練を通る時、死の陰を通ることがあっても、私が神様から目を離したくありません。そして、神様から私を見捨てたりはしないという大きな希望に感謝です。