ローマ1:18−32
18 というのは、
19 それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。
20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、
21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、
22 彼らは、自分では知者であると言いながら、
23 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、
24 それゆえ、神は、
25 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、
26 こういうわけで、
27 同じように、男も、
28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、
29 彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、
30 そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、
31 わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、
32 彼らは、そのようなことを行えば、
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この聖句を読んでいると、「はい、すみません。黙ります。」という気持ちというか、なんか、頭を下げたくなる思いがしてきます。
江戸時代の大奥のドラマとかで、上様が通る時に、頭ひとつあげず、大奥の女性陣が平伏すシーンがありますが、
・神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、
・造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。
この2つの言葉は、私も、そのシーンのような気持ちになります。一言も口を挟めない、はい、仰る通り通りです、という気持ちになります。
私たちが礼拝している神様は、人間「が」造った神様ではなく、人間「を」作った神様で、もう神様の前ではちっぽけでちっぽけで仕方のない自分なんです。
神様なしでは生きていることすら、できない自分なんですね。作り主こそ、とこしえにほめたたえられる方。
その方と出会わせて頂いたこと、その方を日々知りつつあること、本当に何にも代え難い祝福だと思います。