神様を知れば知るほど、

人ってどこまでも自己中だなって気づく。

 

何でも自分中心。

 

自分がお腹空いたかどうか

自分が嬉しいかどうか

自分が嫌かどうか

 

何でもかんでも「自分基準」。

 

別にいいんだけどね。

 

みんな自分にしかなれないし、

自分をやるしかないんだから。

 

その自分を自分で放棄しちゃったら・・・

大変なことになる。

 

だから自己中は自己中で別にいいと思う。

 

だけど、

神様を知っている私たちは、

自己中ながらも、やっぱり神様に導かれて、動いていきたいよね。

 

御霊がいつも導いてくれるところに。

 

怒っても、1日中怒ったままでいない。

 

自己中を極めちゃうと、

自分は何にも変わらないで、人だけ変われ!って態度になっちゃう。

 

他人を動かそうとするの。

そうやって自分の思い通りに人を変えようとする。

 

でも、そういう態度でいると、

今度は、神様まで思い通りにしようとする。

 

自分の思い通りの神様を求める。

 

神様を変えさせようとする。

 

祈りを答えさせようとする。

 

・・・

・・・

・・・

 

誰だよ。

 

神様を変えさせようとする自分は何者?

 

ふんぞりかえっている。

 

神様を小手先で扱い、

自分が神様のようになり、

神様にこうしろ、ああしろって命令する。

 

祈りの言葉尻がどんなに綺麗であろうが、

聖書を毎日読もうが、

心の奥底に、

神様、変われよ!的な気持ちが潜んでいたら、

それは悪だよね。

 

そんな気持ちが芽生えてきた時は、

すぐさま自分に言ってやりたい。

「お前誰だよ。」って。

 

ふんぞりかえるな。

 

感謝!