私の友達がこんなことを言っていました。
「たまに、自分が偽善者であるように思う。」って。
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聖書の知識を持ったり、教会に行ってメッセージを聞いたりすると、
時に頭でっかちになることがあります。
つまり、わかっているのに、できないって。
愛しなささいってわかっているのに愛せないとか。
偽善者になる瞬間は、
愛しなさいってわかっているのに、愛せないけれど、愛さないといけないから愛す・・・
みたいな。
とっても窮屈です。
窮屈さは、自分で何とかしようとするとやってきます。
愛するとか赦すとかを、自分で何とかしようとすると苦しくなります。
自分が、自分がって・・・どんどん心が重たくなります。
そうじゃなくて、息をするように、日々イエス様との関係を深めていく。
愛せない時、「ごめんなさい、愛せません。でも、あなたが愛であることを知っています。
そして、あなた満たされることで、私はあなたの愛を現すことができる、その強さを与えられると信じています。」
って、神様に委ねます。
その歩みがクリスチャン。
自分が偽善者と思うのは、自分で頑張ろうとしているから。
偽善者云々なんて、深いところでは、世の中の人全員が、死ぬまで偽善者です。
なぜなら、イエス様以外に罪のない人はいない、義人はいないから。
だから、偽善者のことを悩んだり、自分でどうにかしようとしたり、まして自分を責めたりしないで、
「私は罪人です。」って神様に全部オープンにしてしまいます。
そうやって、罪悪感とか、後ろめたさを、神様に全部告白して、自由を得るんです。
感謝。
もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。1ヨハネ1:9