我慢していることがある。

 

人間誰でも、本当はこうならいいのにと思っているけれど、

どうしても思い通りいかず、我慢していること。

 

自分のことでの我慢なら、何とかなる。

 

色々思うことはあっても、

それでも自分が選んで、我慢の道をとることにしたんだから。

 

でも、人ごとだとどうにもいかなくなる。

 

人に対して我慢していると、

どこかで絶対にパンクする。

 

だって、その人って自分じゃないから、どうしようもならない。

 

他人に理想を抱くと苦しくなる。

 

この人こうであればいいのに。

こういうことしなければいいのに。

 

世の中の大半があなたの味方になるような事実でさえ、

その人相手に通用しない。

 

人を変えることはできない。

 

昔からずっと言われている原則。

 

その人が変わる気になるまで、その人が、自分で変わろう!と腰をあげるまで。

 

だから、人に対して理想を抱きながら我慢していると、

いつまで経っても終わりがない。

 

その人がいつあなたの理想通りになるかなんて、

全くわからないし、その当人すらわかっていないことだから。

 

だから、ゴールのない我慢に突入することになる。

 

こういうことに悩んでいる人って、

特に真面目な人が多いから、

 

そういう人に限って、

「人を変えようとするのはダメだ。自分が変わらなくちゃ。」と、

自分を戒める。

 

「こんなことで嘆いていちゃダメだ。変われるのは自分だけだからっ」と。

 

一見ポジティブなように、

そして、それこそ運命を切り開いてくれる切り札のようにも見えなくはないが、

実際はこれが上手くいかない。

 

世の中にはそれが上手くいった例を取り上げて、

何十倍にも盛って、かっこよくして話をするから、

まるで誰にでもそんなことができるように錯覚してしまうけれど、

実際は上手くいかない。

 

それどころか、そうやって、自分を戒め、

我慢にさらに我慢を重ね、

ぐっと堪えると、もっと苦しくなる。

 

中ではボコボコ沸騰していて、

中身はいつでも溢れそうなのに、

それを理性と常識で、無理やり押さえ込んでいる。

 

そんなことし続けていたら、

疲労が半端ないし、

もう心がズタズタ、ボロボロになってしまう。

 

そして、当初理解できていた、「自分が変わるしかない!」すらできないほど、

精神的にも肉体的にもボロボロになる。

 

心の中が水浸しになるような感じだ。

 

だから、頭で冷静になって、とり繕っても、

一時的には、それでもめげずに頑張ろう!と決意しても、

やっぱり根本的には苦しい連鎖が残っている。

 

だから、

 

諦めたほうがいい。

 

何かを捨てると、初めて何かを得られる。

 

諦めると得るものがある。

 

諦めると自由になる。

 

この世の中、「諦める」という言葉があまりにネガティブに使われすぎたりしている。

 

それは、「諦めないから・・・・になった。」という感動ストーリーがこの世の中に溢れているから。

 

そして、「諦めないから・・・・になった。」というストーリーに人は感動するから。

 

でも、その「諦めないから・・・」には、そのことを諦めない代わりに、

他の沢山のことを諦めてきたという事実にスポットライトが当たっていない。

 

物事、一面だけを切りとってみると偏ってしまう。

 

だんだんと、諦めないことが目的になってしまって、

すべてのことにおいて「諦めない人」を目指そうとしている。

 

意識、無意識関係なく。どこかでそんな無理が生じている。

 

当然そんなに人間は完璧じゃないし、

万能じゃないから、我慢が積み重なる。

 

そうやって我慢が積み重なって「怒り」になり、「絶望」になり、生きていることがしんどくなる。

 

 

主の翼の下に、あなたはかくまわれるのです。また、主の変わることのない約束が、あなたのよろいとなるのです。

ですから、もう暗闇を恐れることはありません。

昼夜の襲撃にもおののくことはありません。

詩篇91:2−3

 

諦めたほうがいい。

 

そうしたら一つ我慢がなくなって、

もう少し、心に余裕ができるから。

 

心に余力がないと、

人生に優しくなれなくて、どんどん面白くなくなってしまうから。

 

諦めよう。

できるだけ早く。

 

委ねて。

 

感謝