正直者が馬鹿を見るっていう言葉がある。

 

 

真面目な人ほどこの世の風当たりが強かったり、

病気になったり、損をしたりすることもある。

 

そこに、正当な理由も、合理もない。

 

いい人にも不幸がある。

いい人にも悲劇がある。

 

人並に、もしくはそれ以上に、

真面目に頑張って、一生懸命生きてきても、

崖から滑って落ちる。

 

なぜこうなったんだ?

と原因追求をしても、そこには更なる悲しみを明確にするだけ。

 

原因追求が改善のために必要といっても、

不合理で、全く理解できない状況の時に、

原因をほじくるのは賢明ではないと思う。

 

不幸が自らのものとして、

心の底から経験して初めて、

私たちは「強さ」を表していかなくては、

生き残れないことに気づく。

 

辛く、悲しく、

どうしようもない状況の時に、

 

状況を変えてくれるのは、自分の心しかないという当たり前の事実に

ようやく直面することになる。

 

何を選び、何の行動をとるのか、すべて自分の心が決めるのだ。

 

生か死かのギリギリの中で、選ぶ道を間違えれば、

取り返しのつかないこともある。

それくらい大変で、戦い抜かなくてはならない時も、人生にはある。

 

世の中に起きることに、すべて、全うな理由があるわけじゃないと

認めることは、不幸の中でも「強く」生きていくためには、

必要不可欠だ。

 

いいですか、よく聞きなさい。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者によくしてあげなさい。

ルカ6:27

 

聖書の中で、最も難しく、明確な命令の一つだと私は思う。

 

アガペーの愛と呼ばれる、

ギリシャ語で、真の愛だとか、神的愛、無条件的絶対愛が求められる。

 

敵を愛することに、もはや感情はない

 

人間が、感情をも変えて、敵を愛することなどできるはずがない。

 

それはもはや病気である。

 

感情など関係ない。

 

ただ愛すると決断するがゆえに、敵を愛することができるのであって、

そこは、感情的には大いなる犠牲でもある。

 

それでも守ると決断するから、最悪な状況で、守る。

それでも見捨てないと決断するから、最悪な状況で、見捨てない。

それでも赦すと決断するから、最悪な状況で、赦す。

それでも愛すると決断するから、最悪な状況で愛する。

 

ありとあらゆる最悪な状況の中において、

理性を働かせて、決断する。

 

決断するしか、強さは発揮できない。

 

決断するしか、乗り越えられない。

 

最大限の愛の形がこうなのだから、

あらゆる最悪な状況で、辛い状況で、悲しみの状況で、

自分の心で決断をして、

たとえ気持ちが全く伴わなくてもただ理性で突き進んでいく時に、

少しずつ道が開けるものだと信じている。

 

そこに綺麗ごとはいらない。

 

人間そんなに簡単に心を綺麗にできるものではないから。

 

委ねて。

 

感謝。