現実に満足がいかない時は、
どこかに期待が潜んでいる。
私たちは「現実」しか存在することができないのに、
その「現実」をまるで厄介者のように扱ったり、
「現実」に思い悩んだりする。
「現実」以外、どこにも存在していないのに。
今を大切に!などという言葉をよく聞くようになった。
裏返せば、今を大切にしていない人が、多すぎるからだろう。
一昔前は、自分と、家族と、そして広げても自分の周囲の環境の様子しか、
知り得ることすらできなかったのに、
今は、リアルタイムに、至る所で起きていることが耳に入ってくる。
知る必要もない、他人の人生を覗くことも簡単にできる。
あるのは目の前の「現実」だけなのに、いとも簡単に、その「現実」を
他の誰かの人生を覗いてみることや、別のどこかにワープしているような時間の使い方をすることも可能になった。
そんなことをしているうちに、色々な世界を知って、
自分の現実をもっと彩りあるものにしようと邁進する。
自分にもいっぱい期待して、
そして、『他人』にまでもいっぱい期待して。
思い悩む裏には、いつも期待が必ず潜んでいる。
言い換えれば、それは、『理想』かもしれないし、
その人にとっての『あるべき姿』。
だから、その期待が打ち砕かれる時は、
怒り、悲しみ、苦しむ。
それでも、期待はいつも再生してくれるけれど、
本当にどうしようもない時は、
期待の『き』の字も持てないほどに、木っ端微塵に打ち砕かれ、
目の前が真っ暗に見えることもある。
こんなことを考えたら、
期待なんかしない方がいい、と刹那的な見方をする人もいると思う。
でも、期待のない人生は、希望のない人生。
未来にワクワクすることを思い描いたり、
夢を持ったり、
今晩の食事を楽しみにしたり、
ずっと心に引っかかっていた人間関係が、また再び良くなると願ったり・・・。
期待することは、希望をもつこと。
期待を持つのは自然なこと。
ただ、それゆえ、傷つくリスクも負うということ。
特に、注意すべきなのは、他人への期待。
他人への過度な期待は、自分のみならず、
他人をも傷つけてしまうこともあるから。
思い通りにならない他人に対して、イライラしたり、
それが口に出て、態度に出てしまうことがある。
大切なのは、期待を持つ持たないの話じゃなくて、
人間なら、誰でも自然に持つ「期待」が、
もしかしたら、「間違っている」かもしれないという謙虚な姿勢と思う。
期待が自分の中で絶対的なものになってしまった途端、
それが「正しいもの」になってしまう。これが問題。
「正しいもの」になった瞬間、
人を裁き、できない他人にため息をつくことになるから。
所詮、人間なんだから。
思っている期待だって、日々の生活から、感情からふわっとわいて出たもの。
どんなことでも、
「こうでならなくてはいけない!」
ってなってしまうと、どんどん我が強くなってくる。
余裕がなくなってくる。
呼吸が浅くなってくる。
そうではなくて、
自分がただ抱いている期待に対して、
もしかしたら、他に別の道や違う方法や見失っている大切な意義があるのかもって思って、冷静になることで、期待に振り回されることが少なくなる。
そしたら、他人ももっと優しくなれる。
わたしは、おまえたちのために立てた計画をよく知っている。それは災いではなく祝福を与える計画で、将来と希望を約束する。
エレミヤ書29:11
所詮、人間なんだから。
期待を持ちつつ、起こりうる「現実」にもっと柔軟でいる時、
人生のいいことにもよくないことにも、味わいが濃くなってくるから。
委ねて。
感謝。
