重大な決断をしなくてはならない時ってある。
私にとって今がその決断。
夫が日本に留まるか、海外の仕事を受けるか。
幸か不幸か選択肢が与えられている。だから、私たちは選び取らないといけない。
幸か不幸かとあえて書いたのも、例えば、命令で!となれば、そんなに悩まない。
でも、選択肢が与えられていると選ばなきゃいけない。
ショートケーキかモンブランかどちらにする?
という決断にはいかないのは、その決断によって、
これからの人生の方向を大きく変えるから。
だから、こんな時こそ、神様、あなたの道を示してください!ってなる。
ただ背中を押してもらいたいだけ。
自分で責任を負いたくないから、自分の感情じゃなくて、神様が選んでー!ってなってしまう。。。
でもね、結局は選び取らないといけない。
私たちが選ぶ自由を神様が決して奪ったりしないから、
祈りつつも、やっぱり選ばないといけない。
そうなると、プレッシャーが大きくなるけれど、
よくよく考えると、結局のところ、これからの人生の方向を大きく変えるから。なーんて思い込み。
これからの人生の方向が大きく変わるんじゃなくて、どっち選んだって、方向は変わっている。
そんなこと言ったら、毎日毎日方向は徐々に変わっている。
大きくなんて、ただの妄想。
何をもって大きい、小さいなんて、未来のことに絶対断言はできないから。
だから、まずはそんなに大げさに考えることをしないってすごく大切だなと思います。
それに、神様は、どっちを選んだって共にいる。
どっちを選んだからって神様がどっちかいなくなるわけじゃない。
なら、結局何がそんなに大きな決断なの??ってなってくる。
そうなってくると、自分の欲が見えてくる。
「少しでもいい方」を選びとりたいっていう。
幸せになりたいから、間違った選択選びたくないっていう。
失敗したくないっいうあの気持ち。
でも、実は「選択」自体は何も意味を持たない。
日本に留まろうが、海外に行こうが、
そこからどうして生きるのかが全てを決定する。
だから、選択が全てみたいな見方をしちゃうと、
うまくいかなかった時に、片方の捨てた選択を恨んじゃったり、
後悔しちゃったりもするんだよね。
でも、そうじゃないんだよねーって実はすごく思いました。
選択はただの一瞬のこと。
その先の歩みが大切なこと。
そして、どんな時にも、神様は共にいる。
だから、どちらを選んだとしても、
選択の歩みを、主の導きの中で、確かに進んでいくことができますように
ということが本当に大切なことだなと思います。
もう少し、決断まで時間があるので、
祈って、祈って、主の扉を求めていきます。
委ねて。
感謝。