曽野綾子氏の著書ー「幸せは弱さにあるーいまを生きる「聖書の話」」を読んでいます。
その中にあった愛についての話。
4章 愛は義務である P108から抜粋。
「礼を失せず、自分の利益を求めず」は、エゴイズムの否定です。礼を尽くすとは、他者に配慮して自分勝手にふるまわないことです。
その対象は他人ばかりではなく、親しい家族まで含まれます。
家族であるというだけで、何となく愛情はあって当たり前、どんな風に振舞ってもわかってもらえると思いがちですね。
私もそう思っていたのですが、聖書のこの箇所を知ってから、それは甘えだと気づきました。
「家族なんだから、好き勝手に気楽にできる」と思うと、怒りやイライラをぶつけたり、わがままを言ったり、力になってもらったのに感謝することをさぼったりで、見苦しいふるまいをします。
それは明らかに愛ではないと、パウロは言っているのです。
家族への礼儀というものを考えると、「他人行儀」とは違ったものをイメージしたくなります。
というのも、やっぱり家族なんだから。
家族だからこそ、接することができる態度であったり、言葉遣いであったり、阿呍の呼吸があると思います。
でも、だからって人間。
自分は家族だから「ありがとう」を忘れたとしても、家族からは「ありがとう」を言われたいもの。
いつの時代も、どんな人に対しても、
やっぱり愛のある行動って人の気持ちをふんわり温めてくれると思います。
だから、家族に、他人行儀に礼儀を尽くすんじゃなくて、
家族なら家族ならではの言葉づかいや態度の中に、『愛』があれば、
それが家族ならでは『愛』として浸透していく・・・
愛は礼を失せず、自分の利益を求めず・・・
委ねて。
感謝。