大酒飲みとむさぼり食う者とは貧しくなり、惰眠をむさぼる者は、ぼろをまとうようになるからだ。(箴言23:21)

 

近年、外食でよく「食べ放題」を見つけます。
おしゃれなイタリアンとか、ホテルレストランは「ビュッフェ」と呼び方を変えているけれど、
要は食べ放題。

私は、大の食べ放題好き・・・でした。

なんでかな?って考えてみると、単純に「満足するまで食べられるから。」

レストランに入って、それなりのお金を支払って、
上品なお皿に、上品な量の食事しか持ってきてもらえないと、
なかなか満足できない。

結局、頭のどこかで「お腹が満たされてない・・・」「わざわざ外食しているのに・・・」という不満が残ってしまう。

でもこれ⇧⇧、もう本当書いていて情けなくなるくらい、ただの食欲の塊じゃん!と思います。

 


食べ放題好きの私は、「沢山食べたい!」の他に、もう一つ、食べ放題をエンターテイメント的に捉えていた要素も強かったように思えます。

色鮮やかなサラダ・・・数々のドレッシングにトッピング・・・

見ているだけで、「わあ〜!」って心の中で楽しくなっちゃっている。

自分で、好きなものを選んで、好きな分だけ、食べられるのは、席に着いたまま既に何が持ってこられるか分かっている状態とはワクワクが違う。

そういう意味においても、食べ放題はやっぱりすごく「食べること」にフォーカスしているし、

 

席に着いて、静かに食事をとる場合は、「食べる」ということよりも、むしろ、「必要にせまられての食事」であったり、「友人との交流」であったり、「ビジネスの話をする機会」であったり・・・

 

目的が全然変わってくるように思います。

 


さて、そんな食べ放題。

食欲の塊であった私は、たとえば、ランチのビュフェに行くとなると、こんな感じ。

 

朝食は果物のみのように軽めにして、たっぷりランチを食べる。

 

たらふく食べちゃったから、お腹いっぱいで、場合によっては、夕食なしとか、夕食もちょこっとしか食べられないくらい、既に胃がパンパンになってる。

人間の身体って結構シンプルで、食べすぎると、身体が重くなるし、ぼーっとするし、集中力は落ちるし、横になりたくなる。

食べ過ぎて、お腹大きくなった人が、キビキビ動いている様子ってイメージしにくいよね。

だから、食べ過ぎると身体も一生懸命消化するためにスローになるから、感情、思考においてもどんよりしてくる。

 

・・・

 


で、私の中で、ある時から、それってやっぱりおかしいよね!ってすごく思い始めたわけ。

私たちの目的って神様の栄光をあらわすために生きているのに、ボーっとして、お腹いっぱいでゴロゴロするって、ただの欲にひかれた怠け者だなって。

 

もし、神様に「あなた、何をしているんですか?」って聞かれたら、恥ずかしくて・・・。

 

自分で自分のことをすごくダサく見えてきたの。
そんな欲に惹かれていることに。

 

 


それに、もう一つはそもそも無駄だよね!ということ。

食べ物過剰にとることって、食べ物の無駄だとすごく気づかされました。

 

当たり前だけど。

 

過剰ってのはつまるところは無駄だよね。

 

食べて、出して、また食べて・・・もはや人間の本能のみで生きているようなこのサイクルに嫌気がさします。

難民支援とか、食糧支援とか、そんな慈善活動云々の前に、

リアルに、無駄に食べ物を「消費」するのをやめる。

で、この聖書箇所。

 

神様は、食べ過ぎを全然よしとしていない。

 

大酒飲みと同じくらいに忌み嫌っているということ。

 

私たちの問題は、そもそもただの「食べ過ぎ」を、罪とも認識していない。

 

何となく許容しちゃっている。

 

でも、やっぱり神様がするな!と言っていることをしていること、神様が好ましいと思っていないことをしていることは、残念ながら立派な罪。

 

そしてこれ。

 

こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。(ヤコブ4:17)

 

頭の片隅に、「やっぱり食べ放題はよくないよね」と分かっているのなら、それはしない。

 

神様の働きのために、効果的に動けなくなるような身体をそもそも作らない。

 

このこと、日常の中ですごくスルーされがちだけど、めちゃくちゃ大切。

 

ちなみに、もう一言、「食べ放題」そのものが「悪」なんじゃなくて、「食べ過ぎ」がよくないってことね。

 

委ねて。

 

感謝。