ですから、躊躇せず、神の御座に近づいてあわれみを受け、時にかなって与えられる恵みをいただこうではありませんか。

ヘブル4:16

 

この訳はリビングバイブルから引用しましたが、

この「躊躇」という訳が意味をよく表している。

 

私たちは、特に日本人は、

「躊躇」しがちな民族だと思う。

 

「和をもって尊し」という言葉にもあるように、

協調性をすごく大事にする。

 

初めましての時は、すごく行儀よく、丁寧に話す。

 

自分が所属するコミュニティなり、会社なり、

全くの赤の他人でない人に対して、

すごく丁寧に接する。

 

基本的に遠慮するし、

 

基本的に譲る。

 

こんなことが無意識に、自然にするから、

その相手が神様となっても、

遠慮して、控えめになっちゃう。

 

つまりは、「躊躇」する。

 

例えば、天皇陛下が視察に来て、

さあ、前に出て、ご挨拶していいよとなっても、

みんな若干「躊躇」する。

 

誰か先に出ないかな?のような感じで。

 

まさに「躊躇」ってこんな感じ。

 

でも、この聖書箇所では、そんな私たちを前に、

さあさあ躊躇なんてしないで、もっと近づきましょう!って。

 

なぜならもっと近づくことで、神様からのあわれみを受け、そして、

そして神様がベストと思うタイミングで恵みを下さるから。

 

時にかなってね。

 

今、躊躇している?

 

それとも前にドシドシ近づいている?

 

私は以前はかなり躊躇していました。

こんなことを祈るのは気がひけるとか、

こんなことくらい自分でしなきゃとか・・・

 

でもそうやって躊躇することって、

結局神様から距離を置く=離れるってことだよね。

 

求められていることは、近づくこと。アップ

 

神様の目に躊躇も遠慮もいらない。音譜

 

大きい懐で、よく来たねって迎えてくれるだけだから。アップ

 

私ももう無理です!ってなって委ねた時に、

ようやく、本当に神様と近くなれた。

 

恐れず、近づこう!

 

委ねよう。

 

感謝。