私を含め、廃墟に胸の高鳴りを抑えられないと言う人も少なくはない様で、最近では廃墟をテーマとした写真集も発売されている程である。
しかしこの現象、昨今に降って湧いた俄的なものでもなく、ポンペイ等の遺跡発掘や上流階級子弟の見聞を広げるグランドツアーに端を発する美術史の中では燦然と座する来歴があったのだ。

遥か遠くに去った時代への憧れ、そして思慕。
栄枯盛衰が垣間見せる人の世の儚さ、無常。
廃墟は目にする者へ、時に葛藤にも似たいたたまれない感情を呼び起こす。

ユベール・ロベール作『ローマのパンテオンのある建築的奇想画』は、実在する遺跡と空想とを織り交ぜた作品だが、廃墟を前にした時に沸き起こるイマジネーションの補正は、クリエイティブな感覚を刺激し、想像の喜びを与えるものがある。
ジョヴァンニ・バッディスタ・ピラネージによる『ローマ古代遺跡』、『ローマの景観』の作品群はとりわけ素晴らしいコレクションで、本展の見所の一つと言っても過言ではない。グランドオペラにおけるハイライトシーンさながらの風景は廃して尚の、いや廃してこその存在感。そこに覚える残留思念の躍動。新と旧の相反する磁力、そして過去と現在を同時に生きることができる点に廃墟の魅力があると悟らされる。

アンリ・ルソーの作品には珍しい趣きのある『廃墟のある風景』も見落としてはならない名品。

近年では、非日常、超現実を生む効果をもたらすとして廃墟がモチーフに使われることがあるが、我が物顔で闊歩しているこの街も、いずれは廃墟と化す日が来ないとは限らないと思いを馳せる時、背筋の凍るような、それでいて不思議と安堵を感じるのは何故だろうか。


松濤美術館で1月31日迄