私事、今年はとてもご縁のあったオペラ『アイーダ』。メトロポリタン歌劇場で上演されているアイーダにも興味津々、また出演者に自分を重ねてみる楽しみも期待して東劇へ足を運んだ。

結果として、この様なことを言ってしまうと元も子もないが、オペラをスクリーンで観劇するというのはいささか醍醐味を損なってしまう様な気がする。とりわけ音響に関しては、空気の繊細な響きを感じることが出来ないのでスピーカー音では耳が疲弊してしまうのは否めない。

とは申せ、幕間の歌手達へのインタビューや舞台裏の様子が拝見できるのはとても興味深く、ナビゲーター役のI·レナード(本人も今シーズンにいくつか主演)は大地真央さんを彷彿とさせるような華やかさと、滲み出る知性、ファッションも洗練されていてとても好感が持てた。

オペラ『アイーダ』はエチオピア王女という身分を隠しエジプト王女に使えるアイーダ、アイーダと心を通わせるエジプト将軍ラダメス、ラダメスに恋をするエジプト王女アムネリスの三人を主軸に展開されている物語である。
私はそこに、何かを得れば何かを失うという『正負の法則』にも似たジレンマの応酬を感じた。
愛する者が大抜擢の出世を遂げるものの、引きかえにそれは祖国の敗北を意味し、最終的には想い人と結ばれる為に命を差し出すアイーダ。
念願叶って祖国の英雄として凱旋するも、褒美として与えられたのは愛してはいない女性。愛する人と生きる為に国に背を向けるラダメス。
地位も富も、美貌まで兼ね備えていながら愛する人の心は得られず、遂に結ばれるという歓喜の絶頂において彼の人を自らの手で裏切者として国に引き渡すアムネリス。
三者三様、どうにも幸せのカードが揃わないのである。
そして彼らへ立ち止まることさえも許さないと言わんばかりに押し寄せる、時の大きな流れは、殊に二幕で響き渡るアイーダトランペットの音色が象徴していると言っても過言ではない。眩い太陽の祝福を一身に受けた様な凱旋の始まりと、栄光の裏にくっきりと差す影を予感させながらも抗うことを認めず押し切る終幕のファンファーレは共に同じ旋律で象徴的に奏でられる。

凱旋といえば、先月まで参加していたアイーダの舞台で、私は敗戦国エチオピアの奴隷も演じていた。
それまで戦勝国のエジプト側からの目線でしか彼らを見たことはなかったが、実際に自分が演じてみてその苦悩は心身ともに突き刺さるのを覚えた次第。
特に私が参加したプロダクションの二幕二場(凱旋のシーン)の演出は、生殺与奪の権を握る敵国の前に引きずり出され、件のファンファーレが高らかに響く中、略奪された品々、勝利に酔う軍旗が掲げられて幕となるのだが、その戦利品の中にはこれまで大切にしてきた物や、愛する人との思い出の品があるかもしれない、その軍旗は愛する祖国に火をかけた者達の御旗なのだ、とイマジネーションを膨らませる時、大切な物を踏みにじられるような憤りと、抵抗叶わないもどかしさに演技とはいえ私はこのシーンではいつも気も狂わんばかりであった。
勝者の裏には敗者あり。光があれば闇もまたある。
視点を変えるとこうも見えてくるもの、感じるものが違うのだととても勉強になったこともこの場をお借りして記しつつ。