「思想の書としての『百人一首』は、言葉のリズムは意味に優先するという思想だ。」
と、吉本隆明が言っていたみたいで……
言葉のリズムが意味に優先する……
プログレとか聴いて、だんだん英語に飽きて、というか他の言語に魅力を感じてイタリア語とかフランス語とかの曲を聴いてると、ぜんっぜん意味がわからないから、なんとなくリズムとか語感(?)だけで聴いてしまうんですね。特に最近はそういうクセがこびりついてきて、日本語も歌詞の意味をなんとなく流して聴いてしまいがちなんです。
コバイア語とかはきわめつけですよねえ……
アニソンとかでもそういう手法は多いですよね。歌詞だけ見ると完全に意味不明ですが、響きとリズムだけで連なっている言葉、といいますか……
そう、そういうところになにか見出せる気がするんですが……まだ考えがまとまってませんねえ。
だいぶ長いこと放置してしまいました。アメブロは消えないんですね。
最近はずっとツイッターのほうで好き勝手言っているので、あえてブログを書こうという気持ちにならないと言いますか……
しかし実際こちらのほうが書きやすいこともたくさんあるわけですよ。なんかこっちはわりと別人格を呼び出して書いているので。
今朝はNHKの幼児向け番組を見て、むかし読んで感動した水平社宣言を読んで、フェイスブックで知り合いの画家の方の意見になんとなく疑問を覚え、アニメを見て、クソドラマを見て、先輩とツイッターでやりとりをして、『動物化するポストモダン』を読み終えて……
といった、今日会った事柄がなんかきれいにつながったと言いますか……
私の理想のベースに吉本隆明があるわけです。資本論と窓際のトットちゃんは同じ水準の言語で語られるべきだ、というような。そして『動物化するポストモダン』のラスト、「このようなすぐれた作品について、ハイカルチャーだサブカルチャーだ、学問だオタクだ、大人向けだ子供向けだ、芸術だエンターテイメントだといった区別なしに、自由に分析し、自由に批評できるような時代を作るために本書は書かれている。」というところで私の問題意識とつながった!と感じ、なんか感慨深かったのです。
そう。そうなんですよ!
私がずっと抱えていたものと似た問題意識を持っている人がいるというのがとてもうれしいと言いますか……吉本隆明もそうだし、東浩紀もそう。まあこの項目に限った話ではないのですが。
しかし、残念ながら私の直観レベルで、なんというか、サブカルフォビアとでもいいましょうか、そういうものがあるのは否定できないんですよね。
いや、ちがうな……
反骨の意志、というとかっこよすぎるんですが、なんというか、「サブカルはロックだ!」というような気持ちがありまして。
一緒にするなと言われてしまうかもしれませんが、これは黒人のミュージシャンが「ホワイト(白人)なんかに俺の音楽の凄さが理解できるわけねえだろ!」と言うような、そういう気持ちがあるって感じですかねえ。
まあそのへんで言うとプログレなんてそういう類のサブカル理念からはかけ離れているかと思うんですが……まあそういうアンビバレントなところから問題意識が来ているんでしょうがね。
すべての表現を、同じ土俵で語る。かっこいいじゃないですか。ええ。
あこがれます。
最近はずっとツイッターのほうで好き勝手言っているので、あえてブログを書こうという気持ちにならないと言いますか……
しかし実際こちらのほうが書きやすいこともたくさんあるわけですよ。なんかこっちはわりと別人格を呼び出して書いているので。
今朝はNHKの幼児向け番組を見て、むかし読んで感動した水平社宣言を読んで、フェイスブックで知り合いの画家の方の意見になんとなく疑問を覚え、アニメを見て、クソドラマを見て、先輩とツイッターでやりとりをして、『動物化するポストモダン』を読み終えて……
といった、今日会った事柄がなんかきれいにつながったと言いますか……
私の理想のベースに吉本隆明があるわけです。資本論と窓際のトットちゃんは同じ水準の言語で語られるべきだ、というような。そして『動物化するポストモダン』のラスト、「このようなすぐれた作品について、ハイカルチャーだサブカルチャーだ、学問だオタクだ、大人向けだ子供向けだ、芸術だエンターテイメントだといった区別なしに、自由に分析し、自由に批評できるような時代を作るために本書は書かれている。」というところで私の問題意識とつながった!と感じ、なんか感慨深かったのです。
そう。そうなんですよ!
私がずっと抱えていたものと似た問題意識を持っている人がいるというのがとてもうれしいと言いますか……吉本隆明もそうだし、東浩紀もそう。まあこの項目に限った話ではないのですが。
しかし、残念ながら私の直観レベルで、なんというか、サブカルフォビアとでもいいましょうか、そういうものがあるのは否定できないんですよね。
いや、ちがうな……
反骨の意志、というとかっこよすぎるんですが、なんというか、「サブカルはロックだ!」というような気持ちがありまして。
一緒にするなと言われてしまうかもしれませんが、これは黒人のミュージシャンが「ホワイト(白人)なんかに俺の音楽の凄さが理解できるわけねえだろ!」と言うような、そういう気持ちがあるって感じですかねえ。
まあそのへんで言うとプログレなんてそういう類のサブカル理念からはかけ離れているかと思うんですが……まあそういうアンビバレントなところから問題意識が来ているんでしょうがね。
すべての表現を、同じ土俵で語る。かっこいいじゃないですか。ええ。
あこがれます。
パソコン変えてからブックマークしてないから、ご無沙汰しちゃいますね。Twitterの方が楽だし。
このブログは私にとって匿名性の高い場所なんですよ。だからTwitterはリアルに対して比較的開かれた感じでやってるんです(それでも自分から教えたりは滅多にしませんが)。
で、リアルの友人のフォロワーが少しだけいて、それはそれなりの愉しみがあるんですけども、ときどき息苦しいんですよね。
リアルの愚痴、みたいなものが言いにくいというか……
まあ無責任にしゃべれないんですよ。私がチキンなだけかもしれませんが。
エンターテイメント性は高くても「チラシの裏」としては不向き。Twitter検索とかも含め。
――ということに関連して、ちょっと思うこと。
ごく最近に関してはあまり聞かなくなりましたが、Twitterでのプチ法律違犯発言の「まつりあげ」が流行ったじゃないですか(テストのシーズンじゃないから下火なだけかな?カンニング的な意味で)。
まあ「大義」は法律側にあるとは思いますが、私はこの動きに慄然とします。危機を感じる。
なんでネット上に自発的「検閲」ができちゃってるの?
そんな大袈裟な、と思うかもしれませんが、私はたしかにネット民の、いろんな意味での「意識」が低下してきてると思うんですよね。
そんなん昔から低かった気もしますが……
でも、自分自身の変化という要素を割り引いても、変わってると感じます。実際、「見切った」という人も多いですし。
どうなんですかね。
このブログは私にとって匿名性の高い場所なんですよ。だからTwitterはリアルに対して比較的開かれた感じでやってるんです(それでも自分から教えたりは滅多にしませんが)。
で、リアルの友人のフォロワーが少しだけいて、それはそれなりの愉しみがあるんですけども、ときどき息苦しいんですよね。
リアルの愚痴、みたいなものが言いにくいというか……
まあ無責任にしゃべれないんですよ。私がチキンなだけかもしれませんが。
エンターテイメント性は高くても「チラシの裏」としては不向き。Twitter検索とかも含め。
――ということに関連して、ちょっと思うこと。
ごく最近に関してはあまり聞かなくなりましたが、Twitterでのプチ法律違犯発言の「まつりあげ」が流行ったじゃないですか(テストのシーズンじゃないから下火なだけかな?カンニング的な意味で)。
まあ「大義」は法律側にあるとは思いますが、私はこの動きに慄然とします。危機を感じる。
なんでネット上に自発的「検閲」ができちゃってるの?
そんな大袈裟な、と思うかもしれませんが、私はたしかにネット民の、いろんな意味での「意識」が低下してきてると思うんですよね。
そんなん昔から低かった気もしますが……
でも、自分自身の変化という要素を割り引いても、変わってると感じます。実際、「見切った」という人も多いですし。
どうなんですかね。
