こんにちは、ikuです!

 

脳内父セコムのアップデートが終わったいま振り返ると

 

ああ、ただのやり方の違いだったんだな

と言うのが腑に落ちました。

 

 

これにはもちろん時代背景が大きくて

 

叱咤激励という言葉がありますが

 

叱咤とは:
大声を張り上げてしかりつけること。

しかりつけるようにして励ますこと。
(goo辞書より)

 

まさに、昭和時代はこの叱咤の時代でした。

 

大きな声で、強い口調で

大人が子どもに、上のものが下のものに

教育や躾をする。

 

大きな声で叱りつける様に。

叱りつけるようにして励ます。

 

 

周りと常に比較し、人よりも上である事や優れている事が良しとされた。

(テストの成績、良い学校、良い会社)

 

周りから外れる事や落ちこぼれる事は悪で、何としてでも着いていかなければいけない。(学校には必ず行かなければならない。みんなが出来ることが出来ないのは恥である)

 

そうならない様に、大きな声で、叱りつけてでも言うことを聞かせる。

時に暴力を振るってでもそうさせる。

(スポーツなどの世界では当たり前にあった)

 

これが昭和の時代によく見られていたやり方でした。

 

 

その当時はそれが当たり前だったから、嫌だと思いながらも仕方ないと思っていた部分もあったし、私が大人になって私たちが受けたやり方を、そのまま子どもたちにやっていた事もありました。

 

それと同じように、昭和世代のやり方をそのまま父から受け継いで、

私が私にずっとやっていたのです。

 

 

ただひとつ、子どもの目からは見えなかったのは

 

それが大きな愛情から始まったことだという事でした。

 

 

 

叱られたり貶されたり、脅されたり

暴力を振われたりを

大好きな、全信頼を置いている親からされたら、

子どもは混乱するし傷つきますよね。

(それを解説してくれる人や、フォローしてくれる人がいたらまだ良いけれど)

 

 

その背景に愛情があるなんて分かるわけもなく

(子どもが世間から外れない様に、みんなから嫌われない様に、恥ずかしい思いをしない様に。孤独、孤立にならない様に。子どもを守りたいと言う大人の愛情)

 

親から嫌われた

(嫌われたら生きていけない。小さな子どもにとっては当たり前の感情)

自分は愛されてないんだ

自分は居ない方がいいんだ

自分は存在価値がないんだ

私はダメなんだ

私は欠けている

私なんて

私なんかが…

 

と、親が伝えたかったメッセージとは違う解釈をして受け取ってしまい、

そこからどんどん道がズレて行ってしまうという悲劇笑い泣き

 

 

自分の気持ちよりも、親に嫌われない様に、親に好かれようと

親の顔色ばかりを伺うようになったり

 

親の言う事を聞いて、自分を犠牲にしてでも

頑張ることで親に愛してもらおうとしたり

 

自分の人生を自分以外の事に丸投げする様な事をしたり。

 

 

 

常に目が外側を見ていて、

決して自分自身に対してあたたかな優しい目を向ける事なんてなかった。

 

かつて自分がそうされたように、厳しくすることこそが良い事と思っていたのだから。

 

書いていて絶望的な気持ちになるけどゲロー

 

いやもう、これは時代のものなので仕方なかったよなと

ここまでたどり着けた今は思っています。

(やっと納得できた♡)

 

 

それが正義、正解とされていた事を親はやっていただけで、

その始まりは愛でしかないのだから。

 

それが表現される時に真逆の方法を取っていただけで、

深読み出来ない子どもは、まともに喰らってしまったと言うだけ。

 

悲しいすれ違いだったんだなぁと思います。

 

本当に伝えたいことは伝わらず(内側)

そのやり方(外側)を見て、嫌われたり恨まれたりしてしまうなんてね。

 

親だって自分の知る限りの方法で一生懸命やってただけなのにね。

 

 

 

 

そして、時代が変わり

私たちの世代は、上の世代からされたやり方で苦労した分、

自分の子どもたちには同じ想いをさせたくないと、

自分の代でその連鎖をストップさせようと頑張りました。

 

昭和のスパルタ式のやり方は、もう、今の子どもたちには通用しません。

 

もろにパワハラ・セクハラだし、虐待になる可能性もあるし

捕まったり、訴えられたりする事もありますからね滝汗

 

 

親子だからと言って許される事はなく、

第三者が介入して、命の安全を第一に引き離す事もできますからね。

 

 

そう考えると、つくづくすごい時代だったなぁと思います。

(それによって得られた恩恵も、もちろんたくさんあります)

 

 

もちろんそれは、私たちの親世代の人たちも上の世代から同じ様にされて来た事だったと言う事なんですけどね。

(戦争の影響も大きかったと思います。軍隊式、軍事教育)

 

 

私の場合で言えば、生きることがとても大変だったけれど

(とはいえ、私はメンタル面だけで、物質的に大変だった事はありません。これだけでも感謝ですね)

そのおかげで、自分の子どもたちにはたくさんの愛情を真っ直ぐに伝える事ができましたし、親子関係はとても良好だと思っています。

(子どもたちの口からもそう言う言葉が聞けているので、大丈夫だと思っています)

 

夫婦関係も、上下関係ではなく(むしろ私がマウント取ってるかもw)

お互いに考えを分かち合い、労いあい、感謝を伝え合う事ができる関係を構築する事ができています。

(ありがとう と ごめんなさい がちゃんと言える関係)

 

 

両親が仲良くしている事(喧嘩しないとかではない。ちゃんと喧嘩できて、ちゃんと仲直りが出来る)、

家庭が穏やかな雰囲気である事(いろいろあっても許容できる雰囲気である事)

親子の関係性が子どもにとっての安心安全の基地となっている事

が本当に大事だな〜と、今の私は思っています。

これがあったら自己肯定感や自己重要感が下がることなんてないはず。

 

 

親子は距離が近いだけに難しいです。

 

基本的に自分がされた事しか出来ないので

それ以外の価値観を取り入れることは、時に痛みや苦痛を伴うことがあります。

(これまでの)自分を否定される感覚になることもあるのでね

 

私は盛大な勘違いから、親の本意からとんでもなく遠くまで外れてしまったけれど笑い泣き

 

こんなに遠くまで外れて、また戻って来られた分、

いろんな経験をさせてもらいました。

 

そう言う意味でも、父からは精神的にも肉体的にも、

大きな大きな経験というプレゼントをもらっていたのだと感謝しています。

 

 

私には何にもないと思っていたけれど

結局 気付けば、私は本当に欲しかったものを

ちゃんと手に入れることが出来ていました👍

ちゃっかりしとるやないかーい!笑

 

あったかい家庭、大好きな人たちと美味しいねって言いながらご飯を食べる事、安心して喧嘩できる相手がいる事、悲しい時や寂しい時に寄り添い合える人がいる事、自分の命を差し出してでも守りたいと思える愛する存在たちがいる事。

 

私は私の愛情を真っ直ぐに伝えられる人がいる事がとても嬉しい。

 

 

でも、それは

両親をはじめ、これまで世界を築き上げてくれた人たちがいたからこそ。

つらい思いや苦しい思いをしながらも(もちろん楽しい思いもして)豊かな世界を

創り続けてくれたからこそだと感謝しています。

 

 

大きな物事を成すためには(全体の利益のためには)

身近なことや小さきもの、弱きもののある一部分が犠牲になったり

見落とされてしまったりします。

 

私の痛みもそれだったんだな。

 

 

自分の痛みしか見えない時には気付かなかったけれど

大きな視点で見たらそれすらも大きな愛の中の出来事だったんだと

やっと納得することが出来ました。

 

責められていたのではなく

否定されていたのではなく

押さえつけられていたのではなく

守られていたのだということ。

 

守られていたのは、私の事と言った本人の心の両方ね。

 

 

いま、私の中には私を否定したり攻撃したりする存在はいません。

ホントびっくりよー!

 

脳内セコムのキャラクターは高田純次さんや所ジョージさんのような存在になっています。

 

ちょっとしたことでも

おっ!いいねぇ~とか

いや~!俺サイコー!とか

そんな感じゲラゲラ

 

めっちゃお気楽になりましたとさ。

 

 

ほなほな、みなさまもよき週末を~バイバイ