本日2記事目

 

物事(のエネルギー)は必ず

外へ向かう力と、反対の内へ向かう力が働いているんだなと

最近、分かってきました。

 

 

外側へ向かって攻撃のようなエネルギーを発している時は

内側へは自分を守るエネルギーが働いているし

 

外側へ優しさや愛情のエネルギーを向けている時は

内側にも優しさや愛情のエネルギーが働いている

(それは時に自分を守るためのものもある)

 

 

 

私たちの親世代の人たちは

甘えてはいけない、怠けてはいけない、迷惑をかけてはいけない、ちゃんとしなければいけないと

外側に対して厳しく見えるエネルギーを発してきました。

 


一見厳しいその言動は、子どもにとっては苦しみとなることもありましたが、

その内側では親世代が受け継いできた教えや信念(自分たちがされてきたこと)を守ろうとする想いや、

その信念のもとで子どもが傷ついたり困ったりしないようにという

愛情が込められていたものでもあったのだと思いました。

 

 

かつて、子どもの頃の私が父や母、叔母から向けられた言動は

まさしく一見すると(表面的には)私を苦しめたものでした。

しかし、その背景には(内側には)その世代の人たちが正しいとしていた愛情の形があり、

その時代には許されていた、当然とされる表現方法だったのだと思います。

 

 

 

その人の口から耳触りの良くない、汚い言葉や醜い言葉が放たれたり

そのように振る舞われたとき、

その人の内側で、ほんとうは私だっていやだったんだ。私だってそうしたかったんだ。

というような、悔しさや悲しさがあったんだろうな。

でも、そういう形でしか表現できなかったんだろうな。

素直に自分の気持ちを表現できない不本意な想いがあったんだろうな。

などと思えるようになってきて

 

 

ただ単に、間違ってる!嫌だな、どっか行ってよ!のように、

その人を断罪したり排除したいという気持ちから、

その人にはその人がそうならざるを得ない背景があったんだろうなと

想いを馳せられるようにだんだん変化してきました。

 

 

これは、自分の内側にも同じ要素があることを見つけ

根気強くそこに光を当て、ケアすることに取り組んできたことで

やっと自分が癒され、満たされてきたから

 

私のかけらが他の人の中にもあると認められるようになり、

私の中にあるものを否定しなくなったから

人のことを反射的に否定したくなる気持ちにストップがかかるようになってきたのだと思っています。

 

 

 

ちょっと表現がややこしかったかもしれないけれどアセアセ

 

 

 

ここまでくると、これまで苦手だなと思っていた人や言動の中にも

柔らかい部分やあったかい部分、優しさがあることを見出すことができるようになるので

 

 

冒頭に書いたように

外側に優しさを向けると内側にも優しさを向けていることと同じになり

一粒で二度おいしいwエネルギーが発生し、自分の中に蓄えられていくことが分かりました。

 

 

人に対して優しいまなざしを向けることは

自分の中にある同じ部分に優しいまなざしを向けることになる

 

 

それは、ネガティブな部分でもポジティブな部分でも同じ。

 

 

こうやって自分も他人も許せるようになるのだなと実感しています。

(人のそうなるに至った元の想いを許す。表面の言動は必ずしも許せなくてもいいと思う)

 

そして、優しさを見ようと意識すれば、優しさが見えて来るんだと分かってきましたよ。

絶対のように、鋼鉄のように見えていた

その人の表面に見えている部分のその裏には、

必ず柔らかい部分があるんだということが腑に落ちてきました。

 

 

自分の中の感覚だけど、私の頑なだった部分、固かった部分がやわらかく解れていくのを感じています。

私の心の土台がまた少しふかふかになっている気がして嬉しい私です。

 


表面的な表現はいかつい事も多いけど、中身はとっても優しい夫氏😊