こんにちは!ikuです。
週明けに実家から戻ってきました。
帰りはフェリーでした😆
進級テストという名のお父さんとの対決wは
あれからさらに難易度が上がって
もう、悶絶しまくりでした![]()
おかげさまで、心の底からスパッと怒ることが出来ましたよ。
というか、怒ることに完全に許可が下ろせました。
これまでは、
怒っちゃいけない。
怒ると、あんなに嫌っていたお父さんと同じことをすることになる。
だから怒りたくない。
怒ること=相手を否定すること
という図式が私の中にあったので
(お父さんの怒りの表現の仕方が相手を否定するやり方だった)
(お前が悪い!お前のせい!というやり方)
お父さんのことは本当は好きなので
否定したくない。
だから、怒りたくない。
怒ることでお父さんを傷つけたくない。
(かつて、お父さんの怒りで私が傷ついて嫌な思いをしたから)
(お父さんに傷つけられたと思い込んでいた)
ーという風に、
怒っているのに、怒ることを自分に許せていないので、
自分の中で感情がぐちゃぐちゃになって
自分の中が怒りや憎しみでパンパンになるわ
ドロドロに腐敗して気持ち悪いわで
苦しくて仕方がなかった。
今回、これまでのいろんな経験や学びを通して
怒りという感情の意味への誤解が解けて
怒りは自身を守るために生まれてきたもの
と、意味づけが変わり
そういう目で自分や周りの人を見始めたとき
どんなにひどい表現の仕方でも
どんなに嫌だな~と思うようなことでも
ああ、(目の前の人は)自分を守っているんだな~と
捉えられるようになり
一歩引いて見ることが出来るようになりました。
そのうえで、
あまりにも父(や夫)の言動が酷いときや
明らかに自他の境界線を越えて
侵入してきていると感じたときは
ざけんな!出ていけ!!(お口w)と
自分を守るという意味で
NO!をはっきりと言うことが出来ました。
父の心には
自分を大事にしてほしいという想いだったり
寂しさだったり、構って欲しかったり
辛さを分かってほしかったり
困っていたり
というのが見え隠れしていたので
その心は汲んだうえで
でも、その表現で私に向かってこられるのは困る
そのやり方で私に甘えてくるのはやめてくれ!
と、心と行動を私がしっかりと分別して
行動に対してNOを突き付けられたので
相手を傷つけるかもしれない
のような罪悪感に引っ張られることが
あまりなくなっていました。
そして、よくよく考えたら
相手にぶつけるやり方をしてくる人に対しては
ある程度強い態度で意思表示してもいいんだと
思ったんですよね。
相手はそれを当然としてやっているので
こっちが全部吸収していたら
その表現が嫌だと思っている私のようなタイプの人は
自分を不快な状況にずっと置くことになるなと思ったのです。
相手の行動に対してだけ
同じ強さで打ち返してもいい。
そうじゃないと伝わらないのかもしれない。
そう思いましたよ。
実際、私がガツンと言い返したら
父も夫も黙りましたからねwww
父に至っては、母の反撃に
そんなに嫌うなよぉ~と
ヨワヨワな泣き言を言ってましたからねw
さくらさくら🌸
相手が傷つくかもしれないなんて
ちゃんちゃらおかしかったw
相手はそれをよしとするから
そんな表現をしているのだから。
もちろん、自分が好む表現をすればいいのです。
私は父や夫にガツンと言いたかったから言い返したけど
ガツンと言いたくない人、スルー出来る人は
そうすればいいだけです。
相手によって態度を変えるって大事なのかも。
(厳密には、相手のその時の状態によって。ですね)
このことも、頭ではわかっていたけれど
なんだか良くないことのように思っていたので
出来なかったんです。
で、なるべくどんな人にも同じように接しようとして
苦しくなっていたんですよね(笑)
合わないなと思う人にまで
心を砕く必要はなかったんだ。
ちょっと寂しい気もしたけれど
少し前からこれを取り組み始めていて
ビックリするほど心が楽になっていたのです。
まずは遠い関係性の人からやってみたら
やってみて分かったのは
私が思うほど
相手からは思われていないことw
私が仲良くなろうとしすぎていたこと。
それは、小さいころの親との関係性からの痛みから来ていたこと。
そして、必要のないところにエネルギーを注がなくなったら
自分へのパワーが戻ってきたこと。
私が持っていた不安は
大丈夫だったってこと。
なーーーんだ~~www
って感じでした。
ナマズ❤️
そして、今回の父や夫との取り組みで、
関係性の距離が近い人ほど
これをちゃんとやらなくちゃいけないと思ったこと。
これまでは怖くて怯えていたけれど
ちゃんとNOを言うことで
上下だった関係性が
横並びになれた気がしたこと。
私が得意なことと相手が得意なことはちがう。
私が苦手なことと相手が苦手なことも違う。
相手の得意なところと
自分の苦手なところを比べて
凹む必要はないんですよね。
人はみんな違う。
違う特性や特徴を持っている。
どちらかが正しいなんてない。
合わせなくていい。
だけど、話し合って解決策や妥協点を見出して
関係性を豊かに育てていってもいい。
これは、父の育ってきた環境や時代背景もあるので
いい悪いという問題ではなくて
ただ、そのやり方が嫌ならそれを伝える努力を
私がしなければいけないということ。
私が変わることなく
お父さんに変われ!というのは
とてもお門違いなのです。
今回、実家を離れるとき
父はとても穏やかでした。
足が痛いのに一生懸命あるいて
私たちを見送ろうと
玄関先まで出てきてくれました。
私たち、めちゃめちゃ愛されているし
大事にされていましたよ。
自分の感情を曝け出せる相手だと
信頼されていましたよ。
久しぶりに感情が揺さぶられて
苦しい思いもいっぱいしたけれど
やはり、父との関係には
私が解くべき課題がたくさんあることが
良くわかりました。
進級テストは少しだけ合格点に近づいたかな
という感じです。
癒された部分と、まだそうでない部分がよく分かった
今回の帰省でした。


