本日3記事目

 

この一連の氣付きが起きる前、

 

何かがあったわけでもないのに

 

モヤモヤとした気持ちで落ち着かなくて

 

コミュニティの仲間たちに話を聞いてもらっていました。

 

 

今週末から実家に帰るのだけれど

 

父に会うのが怖いという話をしていたからか

 

 

ある人が、認知症のお母さん(すでに他界されいる)の話を聴かせてくれました。

 

 

認知症になったお母さんは暴言が酷くて

 

みんなが手を焼いていたそう。

 

その人も最初は、そんなお母さんの姿がしんどくて

 

憎しみが湧いたりもしたそうです。

 

 

でも、ある時、目の前で暴れているお母さんを見て

 

ああ、お母さんも一生懸命に生きて来たんだな。

 

長女として生まれて、仕事で忙しい両親に変わって

 

小さいころから妹や弟の面倒を見て

 

自分だけの時間なんてなく、

 

親に甘えたり、わがままを言うこともすらできなかったんだろな。

 

目の前の事で精一杯、生きることに精一杯

 

我慢の人生を送って来たんだろうな。

 

 

そう思って、心からねぎらいの言葉をかけ

 

優しく接したそうです。

 

 

そうしたら、あんなに暴れていたお母さんがすっと落ち着いて

 

だんだんと穏やかになっていき

 

ありがとう、ありがとうと

 

介護ヘルパーさんなど周りの人に感謝の氣持ちを伝えながら

 

穏やかに過ごすようになったそうです。

 

 

その話を聴いて

 

私は、胸がいっぱいになりました。

 

 

彼女のお母さんは、ずっと抱えて来たどこにも出せなかったであろう

 

やるせない気持ちを、自分の娘に分かってもらえて

 

どんなに嬉しかったことだろう。

 

 

その気持ちは、彼女のお母さんとお父さん、そのお母さんとお父さん・・・と

 

ご先祖様がみな持っていた気持ちかもしれない。


 

 

今わたしたちが豊かに暮らせているのは

 

まちがいなく、今の世の中を作ってくれた人たちのおかげ。

 

食べたいものを食べたいだけ食べられて

 

あたたかいお布団で眠ることが出来て

 

楽しいことがたくさんあって、遊べて

 

ワガママを言えて、甘えられて・・・

 

 

今の私たちが当たり前のように

 

簡単に出来ることが

 

出来なかった時代の人たち。

 

 

それが、私たちの両親世代とその前の時代までの人たち。



子どもたちのため、人のため


豊かで幸せな未来のため


そうやって懸命に生きてきた世代の人たち。



ありがとうございます。




 

 

私の父は昭和一桁生まれの

 

9人兄弟の末っ子です。


 

食べるのにも苦労していたと聞きました。

 

中学を出てすぐ大工の弟子となり

 

厳しい修行の世界に身を置きました。

 

殴られることも当たり前

 

ご飯を食べられないことも当たり前

 

暑い夏も寒い冬もつらい仕事にも耐えて

 

腕を磨き、一人前の職人になったのです。

 

 

あかーん、書いてて泣いてしまう。

 

 

そして、母と結婚し


母の妹である叔母を引き取り、

 

結婚するまで養い

 

その後、我が家の敷地内に親戚の伯母さんの家を建て

 

最期まで面倒を見ました。

 

 

自分の家も、立派な家を2戸も建て

 

私たちは何不自由なく育ててもらいました。

 

 

前記事の夫の荒っぽさについてと同じで

 

私が苦手として、恐怖と不安に陥ったほどの

 

父の荒っぽさの背景には

 

小さなころから一生懸命に生きてきた

 

父の苦労と生き方がありました。

 

 

荒っぽいけど

 

優しくて面白いお父さん。

 

あんな大きな家を建てることが出来るのに

 

職人さんを取り仕切ることが出来るのに

 

それ以外では

 

繊細で小心者で

 

ドが付くほどの心配性で

 

恥ずかしがり屋のお父さん。

 

 

腕が良くて仕事がひっきりなしで

 

いつも忙しくて、お客さんの事を一番に考えて

 

とても親切で丁寧な仕事をしていたので

 

いつまでもお客さんに慕われていた。

 

 

認知症になってからも仕事の話をしています。

 

どこか修理を頼まれてたろ?

 

職人さんに賃金を払ったか?

 

取引先にちゃんとお金を払ったか?

 

働いてないけん、飯が旨うないったい。(福岡弁です)

 

 

もともと、甘いものが好きだったのもあるけど

 

認知症になってますます、食べるものへの執着が酷くなった。

 

日に何度も冷蔵庫を漁り、仏壇のお菓子を食べ

 

自動販売機にジュースを買いに行く。

 

はちみつをコップにうつして飲んだり

 

食べるというより、とにかく口を満たしたいという風に私には見えた。

 

 

私の想像だけれど

 

お腹いっぱい食べたかったのもあったと思うけど

 

きっと、甘えたかったんじゃないかなと思うのです。(心を満たしたかった)

 

父も、母も、子どものころから我慢の人生で

 

泣いている暇なんてなかった

 

悩んでいる暇なんてなかった

 

と聞いたことがありました。

 

 

 

父は、寂しい と、よく言います。

 

子どもたちは帰って来んとか?

 

子どもたちをみんなを呼び集めろ。

 

(実家に行ったら)もう、帰るな。

 

寂しいったい・・・。

 

 

痛い痛い、キツイキツイ

 

死にたい死にたい

 

そうやってウロウロ家の中を歩き回る父

 

時々、母と怒鳴りあいの声が響き渡る家

 

大きな音が怖い私は

 

これまで落ち着けなくてソワソワしたり


その音や大仰な言動にイライラしていたけれど、

 

 

今回は、これまでのたくさんの気づきのおかげで


少し違った角度から両親と接することが出来そうです。




私に認知症のお母さんの話をしてくれた仲間に感謝。


自分の気持ちをわかってくれたその彼女に対して


お母さんだけでなく、ご先祖も大喜びされてると思う!と話したら


話してくれた彼女の心に何かが響いたようで


とても喜んでいました。


 


何か、目に見えない領域での癒しが起こっていた様に感じました。


おそらく、私たちの世代が


これまでの世代の方達に心を寄せ、


感謝と労いをしなければいけない様な


そんな気がしています。



この国の未来のためにと


命をかけて頑張り支えてくれた人たちのためにも


旧世代の人たち(両親)が可哀想だからと足を止める事なく

(私のことー!!)


私たちは前を向いて進まなければいけないんだろうなと思います。





これは、私と父だけの話じゃないなと


今の私は思っています。