こんにちは、ikuです。

 

最近ずっと、楽しむことを自分に与えていました。

 

 

 

私は、子どもの頃から、純粋に楽しむことが出来ませんでした。

 

楽しんでいたら怒られたり、叩かれたり、不機嫌になられたり。

 

人が楽しんでいるのを「あんなもの」呼ばわりしているのを聞いたり。

 

 

なので、それを、ああ、ダメなんだ。と信じてしまったり。

 

中には、親が何と言おうと、いや、私はこう思う!って思える3歳児もいると思うけど

 

私は、てんで流され取り込まれるタイプの3歳児でした。

 

 

また、私が楽しんでいると、後ろを振り向くと誰もいなくて

 

一人ぼっちになって不安になるとか。

 

 

 

楽しい と、恐怖や不安がセットになっていて

 

楽しみたいと思う反面、楽しんでいいと信じられなかった。

 

常に相手の反応が気になって、楽しめなかった。

 

相手が無表情だったり、スッと表情が変わると

 

あ、私が楽しんでいるから悪いんだ。

 

やっぱり楽しんじゃいけないんだ。

 

と、途端に気持ちを引っ込めて

 

そこでお終いにしていました。

 

 

楽しんだことによる成功体験というものが

 

ことごとく欠如しているのが私でした。

 

 

 

 

例えば物を与えられても、どこか警戒していたり。

 

欲しいと言った時の大人の反応が芳しくなかったり、

 

日頃から見聞きしていたお金についての価値観や、

 

物を手に入れることについての観念がスムーズではなかったこともあって

 

ただ望むことも、手に入れることも

手放しでは喜べなかった。

 

いつも心を挫かれ、ディスカウントされている

そんな感じでした。

 

 

 

(私の側から見て)気持ちよく物事が進んでいないからか

 

条件的には満たされているはずなのに

 

心が満たされてない。

 

 

ここでずーっと引っかかっていました。

 

 

 

誰かの許可がないと安心して喜べなかった。

 

いや、泣くことも怒ることもそうだったのかもしれない。

 

 

長い間、全ての感情を抑圧していたので

そもそも自分の感情が分かっていなかった。

 

 

自分で選べなかった。

 

自分で決められなかった。

 

決めたつもり、選んでいたつもり

 

だった。

 

 

罪悪感を振り切りながら

最近、心が求めるままに

ずっと遊んでいました。

 

 

生きたいところへ行き

 

会いたいと思った人に会い

(これも、断られるんじゃないかとヒリヒリしながら声をかけたり)

 

私の中の小さな私が反応したものを買う。

 

 

そのたびに、身体の中から聴こえてくる恐ろしい声を振り払ったり

 

その気持ち悪さにグッと耐えたりと

 

楽しむのトレーニングをコツコツとしていました。

 

 

 

楽しかったけど、涙が出るほど怖かった。

 

自分が自分の責任で許可を下ろすということが

 

とっても怖かった。

 

いつ、夫に何か言われるんじゃないか?と

(親の目、大人の目の投影ですね)

ビクビクする怖さからくる気持ち悪さも自分の中で感じ続けました。

 

 

 

 

子どもの頃に蓋をした感情をちゃんと感じてあげようと思いました。

 

何も役に立ってないのに

 

何も経済的に生み出してないのに・・・

 

 

純粋に楽しんでいいんだよ。

 

自分を楽しませるためにお金を使ってもいいんだよって。

 

 

金食い虫と父に言われたこと

 

お金を遣ったらメモをしたり

レシートをチェックしていた母の険しい顔

(お金を使った後で厳しい顔をしていた母を見ると心苦しかった)

(この誤解は、今はちゃんと解けています笑)

 

 

両親を不快にしてしまった私

 

なるべくお金を遣わないようにしなきゃ

だから、我慢しなきゃ

両親を悲しませちゃいけない。

家の大事なお金、私にはそれをかける価値はない

 

おそらく、昭和の子どもあるあるですよね(笑)

 

 

とにかく、いろんな要素が絡まり合って

自己無価値観が酷かったので

楽しむことが全然できなかった子ども時代→ちょっと前まで。

 

 

 

自分で稼いで自分を楽しませるのは

大人にとって当たり前なのですが

 

その当たり前をどうやっても出来なかった私にとって

(仕事でお金を得ても、自分を認められなかった)

どんなに甘えていると思われようが

ちゃんと子どもの心を満たすことが必要だと思った私は

 

幸い、夫のおかげでその環境を与えられたので

思い切って、穴ぼこだらけで枯渇していた子ども心を満たすことが出来ました。

 

 

そのおかげで

私が子どもの頃の両親の気持ちにも

冷静に、想いを馳せることができました。

 

父も母も一生懸命で

それぞれの信じた価値観があり

お互いが相まみえなかった部分で葛藤していたのではないか。

折り合いを付けながらも、ここだけは!という部分があったのだろうな。

 

今とは比べ物にならないくらい

縛りがキツイ時代、満足に物がなかった時代を生きて

父にも母にも、癒されていない傷があるのだろうな。

 

などなど。

 

頭で言い聞かせるのではなく、心からそう想えました。

 

 

 

これらに気付けたことも

この行動が私には必要で、だから勇気を出してやってみよう!と、

出来たのも、

 

その行動の中での細かな心の動きを捉えつつ

恐々ながらそれをクリアできたのも

トラウマ治療のおかげでした。

 

 

正直、まだ自分に対して自信は持てていないし

怖いと思う気持ちもいっぱいあります。

 

でも、少なくとも、

自分を責める必要はないんだということと

不快な感情は悪いものではないんだということが

(誰かの不快は私のせいではない。その人のモノである。)

(私の不快も誰かのせいではない。私の責任である。嫌なら自分の気持ちをちゃんと伝えよう!)

少しずつ、でも、しっかり腑に落ちて馴染み始めています。

 

 

そろそろ次の段階に進むときが来たような・・・

そんな氣がしています

 

 

これまで、気持ち悪いと思って避けていたことを

一つ一つ受け入れて行く。

 

大人の階段の~ぼる~♪なのですね。