今日はヨガに行ってきました。
しっかり内観できるヨガの時間は、私にとって大切な時間です。
勇気を出して公開した前記事は
自分のために書きました。
これまでもそうだけど
自分しか見ることのできない場ではなく
たとえ、たった一人でも
自分以外の人が見る可能性のある場に
心の内を出すということは
自分が自分を認めたり受け入れたりするために
やることなのだと、私は思っています。
いいんですよね。
誰が何を言おうと、思おうと。
自分が自分の味方であれば。
言葉にするのは簡単だけれど
そこに力強く立つことは
何度もそんな場面に立っても
これまでの私にはできなかった。
頭では分かっているのにできない
という時
視覚や聴覚、その場に流れる空気感などがきっかけとなって
急に、訳も分からず
混乱してしまったり、
不安に陥ってしまったり
恐怖に包まれてしまったり
という
自動的に身体に起こるネガティブな反応に
(過呼吸、涙があふれる、身体がふるえる・しびれるなど)
支配されて成す術もないという感じになっていました。
(ここが、骨の髄まで沁み込んでいるトラウマ反応か)
(べったりと引っ付いているから、最初は訳が分からなかった)
これを、精神の状態(心が弱い、根性が足りないなど)と混同していたから
ややこしくなっていて
よく言われる
目の前の現実、目の前に現れる人は
自分の内側を映し出してくれている。
自分が発したものが返ってくる。を
神経の発達状態という視点から見ると
私は、ですが シンプルに理解できるようになりました。
(もちろん、すべてが神経の発達が原因ではないとも思っています)
この本に出合えて、本当に良かった♡
そう思える神経が発達してなかったから
それを現象として見せてくれていた
私が私を守るために発していた言動やエネルギーが
相手の自身を守るための言動やエネルギーと共鳴し、引き出され
それが私に還って来ていた
こわいよ~というエネルギーを発していれば
こわいよ~と感じられるような出来事が起こる。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
ですね
相手の残虐性を引き出すというのもこれなのかも。
それで思い出したのが
かつて、私は目の前の人が自分のことを大事にしていないと
すぐに分かって、怒りを感じていました。
外からは良くわかるじゃないですか。
我慢してるな~とか
強い言葉を放っているけれど心が泣いているな。とか。
なので、反発されたり攻撃されるのも覚悟して
ハグをしたり
まっすぐに、その人の心にアプローチをかけたりしていました。
あれも、私の中のインナーチャイルドと共鳴したからこそ
私の中から引き出された行動だったんだなと思います。
私の場合はインナーチャイルドが共鳴したから
救い出したいという方に舵を切っていたけれど、
そこで、残虐性を刺激されて、引き出されていたら、
その人のことを利用したり、いじめたりしていたのかもしれないですね。
ビクビク・オドオドしている人がいじめに遭いやすい
この理屈が分かったような気がします。
私もよく、バカだのアホだの暗いだのとバカにされて凹んでいました。
そこで言い返したり、スルーできたりすれば問題はナイのだけれど
(ちゃんと自分の味方になれていたらという意味で)
すでに散々傷付いてきた身としては
反撃されてより怖い思いをしたり、
自分がされて嫌だったことを相手にしたくないという気持ちもあるので
ただ、言われるがままになってやり過ごすことで
生き延びる道を選んでいました。
でも、そんな態度がますます相手をイラつかせ、
ハッキリと意思表示をしないから相手はそれを良しとする。
そして、内側では自分が自分の味方を出来ていないから
自分はまた傷付くという悪循環でした。
少し前に、何年もあっていない人に
あなたは○○な人だね(悪い意味で)と決めつけで言葉を投げられて
ビックリしたということがありました。
そう会うこともないし
アホくさくて相手にせずスルーしましたが。
この時は、ちゃんと自分が自分の味方を出来たので
ムカっとした程度で終わりました。
少しずつ乗り越えられるようになって分かったのは
自分より弱いと判断した存在に向かってくるのは
弱い人、自信のない人だということでした。
攻撃的な人、言葉が強い人
態度が大きい人、毒舌を吐く人などは
自分をしっかり持った強い人なんだと思っていたけれど
逆だったんだなと、
洗脳が解け始めたら実際の姿が見えてきました。
本当に強い人は
わざわざ強い力を行使しなくても何の問題もないし
きつい言葉を放たなくても
大きな声を出さなくても
冷静に、穏やかに人に伝わるように話すことが出来るし
的確な言葉で、潔い表現をすることが出来る。
自信がある人には余裕があって、
ただ、自分にできることを精一杯、心を込めてやっている。
自分を認めているから、周りに振り回されることが少ない。
(とあるカフェでまさに、この気付きを与えてくれた店員さんに出会いました)
私が今まで怖いと感じていた人たちは
強い人でも、正しい人でもなかったんだ。
その逆で、私のように怖がりで、不安で
自分で自分の感情に気付き、抱えることができないから、
そうするしかない、そのやり方しか知らない人たちだったんだ。
と分かりました。
そのことが見えてから
私は、少しずつ被害者の椅子から降りられるようになりました。
言われるがまま、傷付けられるがまま
それは、自分が自分に対して責任を持っていないということなんだ。
と、思うようになりました。
そして、私も、子どもなど弱い相手に向かって
自分の苛立ちをぶつけたり、
嫌なことをしてきた本人には直接言えない代わりに、
話を聴いてくれる優しい人に、愚痴や悪口を吐き出して、
その人に嫌な思いをさせていた加害者だったことを
ハッキリと自覚しました。
そう。
私も、あの人たちも未熟だったんだ。
(神経の発達が整っていないままで、バランスが悪いだけ)
(そもそもの悪人なんていない。意地の悪い赤ちゃんなんていませんよね)
年齢も、社会的立場も環境も、何も関係ない。
このことが腑に落ちて、
これまでのいろんなことが
自分自身を含めて
許せるようになってきました。
自分を卑下することなく
自分も人も同じ人間として
弱い部分も含めて
その存在を尊重する視点が出来始めました。
自信がなかったので
喋ろうとすると、のどがキュッと詰まって
お腹に力が入らなくて
声が出しにくかったのだけれど
意識して、自分をしっかりと持って
自分の意見を言おう
言いたいと思ったことを言おう
堂々と声を発して伝えよう
と気合を入れるようになりました。
だんだんとほんとうの自分を取り戻してきている実感を
感じられています。
焦りは禁物だけど
社会復帰への道が見え始めたような気がしています。




