一昨日、実家から戻ってきました。




 

父への想いを終わりにしようと心に決めて

今回の帰省に臨みました。

 

 

私の発達特性持ち疑惑が発覚したおかげで

いろいろと謎が解け出してきた中で

 

やはり私は父と同タイプであることや

同タイプであるからこそ

客観的にその行動が見えることで

 

父の苛立ちやもどかしさが

私も同じようなパターンを踏んでいることが

よくわかって、心が痛かった。

 

なのに・・・

同じタイプなら、同情(?)出来てよさそうなものが

同族嫌悪のようになってしまって

余計にイライラしては自己嫌悪に陥ったり。

 

父と母のコミュニケーションから

ズレの大元を見せてもらったり。




 

 

父の

言葉を鵜呑みにしたり

言葉の裏側を感じ取ることへの難しさから

すれ違いが起こり、怒りや悲しみに変わっていく様子や

 

 

母の

言葉と表情が違う様子や

二段階認証システム(と、私が呼んでいるw)

一旦は父の申し出を拒否し、結局は許すという

このややこしさが父を傷つけていることがよく分かったり。

定型発達の人にとっては当たり前のことかもしれないけれど

非定型の私は、とっても傷付きます。




 

父は認知症。もともと甘いものも好きなのですが

ずっとお菓子を求めては食べています。

食べたことを忘れているのもあるし

寂しさや退屈さから食べているのもあるようです。

 

 

父は、自分が忘れていることを忘れている状態で

母は、父が忘れていることを知っているのに

父が忘れていることを責めるのです。

 

 

さっき食べたでしょ?

また食べるの?

お菓子ばっかり食べてるから

ご飯が食べられないじゃないの!

これ、私には責めてるように聞こえます。

おそらく父もそう感じていると思います。

よく、父は、母に反抗します。


 

ほんとうに食べさせたくなかったら

買って来なきゃいいのに。

たくさん用意しておいて

手に届くところにも置いておいて

いざ、父が食べようとしたら

遠くから嫌味を言ったり、ニヤニヤ笑って眺めたり

↑こういう裏表のようなことが、ほんとうに苦手で怖いと感じるのです。



母は、本当に言いたい事を言わないのがずるいと私は思っています。

本当は、父を責めたい訳じゃないはず。

「私は〜と思っている 」と、自分の本音を伝えないから、いつまで経っても同じことを繰り返すし、父には伝わらないばかりか、父は責められていると感じて怒りで返して来るのだと思うのです。


自分の気持ちを知るのが怖いのかな?

言いたくても言えないのかな?

言わぬが花と思っているのかな?

一度、聞いてみたいところです。




 

食べたのを忘れている父は

ずっと冷蔵庫を漁っていて

私も、その姿を視るのがあまり好きではないので

視ないように聞こえないようにしているのですが

 

父と母の言い合いは聴こえてくるしで

特性やらHSPやらで渋滞している私の頭の中は

こんな時、とてもヒリヒリしたりと混乱してしまいます。

 

 

トータルで観れば、父も母もお互いさまで、

なんやかんや言いながら父の面倒を見て

父に文句を言っている母はそれで生きている実感を得ているのかもしれない。

 

 

私のうがった見方かもしれないけれど

父は良くも悪くも正直で純粋で、

母はちょっと斜めな感じがして

 

それは、自分の両親だからとかそういうことではなく

 

世の中の定型と非定型の人の

パワーバランスのようなものを

見せられているように感じて

複雑な気持ちでした。



 

 

これまでの世の中は定型の人仕様でできていて

 

裏と表を上手に使って

世の中とうまく渡り合える定型の人(母)

 

裏と表がうまく使えなくて

あっちこっちにぶつかってばかりの非定型の人(ぶつかっても負けない父&ぶつかって凹んでばかりの私)


 

定型仕様の世の中だからこそ

定型の人の匙加減でその場の状況が変わって

 

でも、それに気付けず、付いて行けず

あたふたする非定型民。

 

非定型民があたふたしている間に

定型の人によってその状況は収められ

 

いったい、どうなってるの?どっちが本当なの??と

混乱する私・非定型民滝汗

翻弄されるだけで終わる悲しみや怒り。

 

定型の人にとっては当たり前の出来事が

非定型の私にとってはとってもややこしく感じられる。

 

 


 

嫌なら、嫌で通せばいいのに。

言葉ではNOと言いながら、

結局はYESの行動をとるってどういうこと?

 

うちの両親のケースで言えば

山ほどお菓子を買い置きしておいて

いざ、父の人のペースで食べようとすると

嘲笑うような言動をしたり

その消費が自分(母)のペースに合わないと文句を言ったり

 

すっごく気分悪い。

性格悪いって思ってしまう。


 

 

言わないでも分かるよね?

普通はこうするよね?

NOって言っているけど、ほんとうはYESって分かってるよね?

 

・・・わかんねーよ!!!


 

ーと、昔からの母のそういう裏表な言動に対して

私がプンスカしてたのを思い出して、

悶絶してました笑い泣き



 

 

これは、夫と私の間でも起こることなので

私は時折、イラっとするのです。

 

でも、その一旦NOからの(ややこしい)YESに

何度も助けられてきたのも事実なので

グッと留飲を下げたり。


 

きっと、定型の人は定型の人で

非定型の人の子どもっぽい行き当たりばったりの言動に

いっぱい迷惑をこうむってきたり、しりぬぐいをしてきたのを

たくさん我慢しているのもあって

(敢えて言わないやさしさ。そっと助けてくれていたり)

(定型の世界で矢面に立ってくれているのは、定型の人たちだもんね)

(それをまた、非定型の人は気付かないんですよね~。ほんとにゴメンなさい)

ちょっと意地悪な感じになってしまっているのかな?とか

(この論点もズレてる可能性ありなのが悲しいところw)



 

 

父と母のおかげで

定型と非定型の人のコミュニケーションのズレや

その面白さを客観的に見せてもらえて

 

私の中にあった、なぞのモヤモヤやイライラの正体が見えたり

じゃあ、こんな時はどうしたらいい?に気付けたり

 

渦中にいると、ただでさえ混乱しがちで

ズレが大きくなりがちなので

 

父と母の姿は生きる良い教材となってくれました。

 



 

私がいくら、

ハラハラしたりヒヤヒヤしたり、イライラしたりしても

結局は両親は仲良くて

上手く行っている。

 

父には無いところを母が持っていて

全てをひっくるめて母は、父を面白がりながら面倒を見ていて、

それが母の生きがいのようになっている。

 

 

父にも母にもいろいろ思うことはあったけれど

白も黒も清濁併せ吞みつつ

ハッキリできない気持ち悪さも全部抱きしめて

(白黒はっきりさせたい、特性持ちあるある)

 

トータルで、父も母も愛すべき

尊敬すべき人たちだと

結論がついたところで、

 

 

定型夫が9時間あまり運転してくれる車で

子ども二人(うち一人は私爆  笑

サービスエリアでアレ食べたーい!これ食べたーい!

あれ買って!これ買って!と、やりたい放題楽しんで

帰ってきました。

 

 

ん。

やっぱり、定型の人ってすごい!!

めっちゃ感謝しかない。

 

なので、私も、定型の人のことをもっと理解しよう。

怒られないようにとはいかないと思うけどw

怒ることを受け止められるようになろうと思いました。

 

そして、非定型の人のことも

同族嫌悪するだけじゃなく、

理解したり、さりげなくサポートしたり、

人と人との橋渡しができるようになれるように

努力しようと思いました。

 

 

同じものを違う視点で捉えるという

脳の特性が違うだけ

 

どっちが善いも悪いもない(はず)

 

その割合や発現するところは違うかもしれないけれど

お互い様であることは確かだなと思えたのは収穫でした。



 

 

帰省する前まで

人と話すのが怖かった滝汗

 

私が何か発言したり行動したりすると

私は気付かなくても

誰かを不快にしたり、迷惑をかけているんじゃないかと

 

疑心暗鬼で

なるべく人と関わらないようにしようと思っていた。

 

 

嬉しくても、ぐっと内側で抑えたり

心の中でつぶやいたり

自主規制してたので疲れてた笑い泣き

 

 

大きな自然の中で

思いっきり自分を解放できたおかげで

故郷で出会った人と

身構えることなく(パワーはセーブしたけどw)

話せてうれしかった。

私のままでいいって、ちょっぴり自信が積めたかな。

 

 

これまで、自分のことばかり考えて来てたんだなと気づいたのと、

これからは、人の立場に立って気持ちを考えられるようになろうと思えるようになって

(これまでも、自分なりにそのつもりだったけど、この「自分なり」がクセモノだったwww)

少しだけ成長したかな??というところです。

 

 

過去が整理できたおかげなのか

いま、家の中を整理したくなっています。

 

春の捨て捨て祭り、開催中です。

帰省で体についた脂肪もねw