こんにちは!

 
昨日は誕生日でした。
 
 
午前は第二回祝詞レッスン
 
午後は、夫が急遽仕事を早上がりしてくれたので
長女の働くお店でバースデーご飯を食べて来ました。
 
その帰りに大好きなお花屋さんへ寄って
花束をプレゼントしてもらい、
 
幸せいっぱいの52歳の日を過ごす事ができましたピンクハート
 
 

 
さて。
 
非定型発達かもと気付いてから
関連サイトで調べたり
関連書籍を読んでいます。
 
 
おそらく、私はそうだと思います。
 
これまでの色々が腑に落ちていっています。
 
 
そして、分かれば分かるほど
こんなにも定型(普通・多数派)な人と
世界の見方や捉え方が違っていたんだと
ビックリしています。
 
 
同じ世界で起こっているものごとを
定型の人は当たり前とし
非定型の私は恐怖と感じていた。

 
非定型の私にとっては
真実と思っていた世界が
定型の人にとって真逆だった。
などなど
 
 
それを知る前とは違った別の意味での、
この世界への戸惑いで
ちょっとばかり頭がクラクラしています。
 
 
そして、知った当初はショックを受け、
そんな自分を責めたり
これまでの事を後悔しては
 
もう、ダメなのかと感じて
激しく落ち込んだり、
 
非定型である事は
よくない事の様に感じていたけれど、
 
 
特性のことを知れば知るほど
どちらかが悪いという事はなく
ただ、多数派の方が大きく(正しく)見えていただけで
 
そもそもあった両方の世界が見えると
世界が立体に見えて来て
面白いのかも?と、なりました。
 
 
多数派と少数派だと
どうしても少数派は肩身の狭い思いをしがちだけど
 
時代の流れや変化とともに
少数派の人が姿を現せるチャンス(?)
がやってきていて
 
これまでは見えなかったけど
確かにあったものたちが日の目を浴びる日が
来ているんだなと感じています。
 
 
 
なので、私は
非定型だから
という括りには入らない事にしました。
(〜だからという狭い箱に入らないということです)
 
定型だろうが非定型だろうが
私は私。
 
 
これまでは、知らなかったがために
非定型の部分を否定して
定型の世界に合わせようと
必死で頑張って来たけれど
 
もう、その必要はなくて
 
反対の面を見て、体験した
両方ある私として
 
じゃあ、私らしく
この世の中で生きて行くには
どうしたら良いのか?
 
 
生きて行く時に不便だと思う時に
どんな手段を使えば
生きやすくなるのか?
 
それを身につけて
実践していけばいいのだと
 
今現在、ここまで辿り着きました。
 
 
これまで否定していた自分の特性にも
いい所はたくさんあったんだと
分かった事も嬉しかったし
 
 
否定していた事に向かって
飛び込んでみたら
それが幻想だったり
思い違いだったと分かったことも
大きかった。
 
 
 
まだ、これからこの特性とどう付き合って行くのか?
ハッキリ道筋が決まったわけではないけれど、
 
 
ただ一つ
 
これまでのように
どうあがいてもうまくいかない事を
一人で何とかしようとしなくていい事が
やっと納得出来ました。
 
 
 
そして
 
正体不明の不安や恐怖の大元は
この特性(脳の特性)の特徴だと分かったので
(幽霊の正体の枯れ尾花を掴んだ気分)
 
 
なんか怖い も
なんか不安 も
否定せずに
認めたり
外に出したり
と、対処することで手なずけられると思ったら
 
まだ少しだけだけど
心強さを手に入れられた様な気がします。


 
 
昨日の祝詞レッスンの時も
なぜか
とにかく怖くて
とにかく不安で
ブルブル震えていました。
 
これまでだったら
恥をかきたくないからなどと決めつけて
そんな自分の部分を否定していたけれど
 
昨日は、ただ怖いと感じている脳があり
それに付随した体験から来る身体の記憶から
そうなっているのだと客観的になれる自分もいて

 
混乱しながらも
チャレンジしていました。

(幸い、師匠である宮司さんが褒めて育てるタイプの方で良かった♡)
 
 
こうやって、切り離して
癒すべきところは癒し
チャレンジすべきことにはチャレンジしていけばいいのだと
 
そして、それが適した環境を自分が選んだり
環境となるように働きかけていければいいのだと
今は思っています。