しばらく、「誰か」や「何か」から距離をとっていました。
恥ずかしながら、私は境界線の薄い人間で
色んなものに安易に自分を浸食させてしまう性質らしく
特に、大きな声(物理的にも)や
強い調子で発言する人や
いかにも正し気なものに
いとも簡単にやられてしまうということが
よくわかったから![]()
人のせいにしたいわけじゃなくて
これは私の持つ個性なんだと自覚したので
自覚した以上は、これまで通りではいけないと思い
外からの情報を遮断して
自分の中から沸き出てくるものに
耳を澄ますことに集中していました。
遮断と言っても、全部を遮断することは
さすがにできないのだけど、
不思議と、いい具合に今の私に合った何かが
するすると目の前に現れてくるもので
それに触れたことで別の角度から
自分の中に新しい視点への道が出来始めて、
モヤモヤしていた心に
落としどころのようなものを見つけることができました。
そうそう。
最近、朝、氏神様へのご挨拶に通っているのですが
数日前にふと
「抵抗や否定が世界を壊す」
「自画自賛がいい。自画自賛でうまくいく」
という言葉が浮かんでいたのが
数日かけてストン、ストンと落ちて来た感じ。
外の世界を遮断するのは、
これだけ流れが速くて変化の大きい今
取り残される不安と
動けず、何の役にも立っていない自分に対する
不安や焦り、自分を責める気持ちや罪悪感が
怒涛のように襲い掛かって来ていました。
それに加えて更年期の症状が出て![]()
もう、ぐちゃぐちゃ。
不安だからと外に情報を取りに行って
(外の世界に正解を求めること)
安心しようとするものなら、途端に足元をすくわれて
濁流の中に流されてしまうような、
そんなイメージが湧いてくるので、
ささっと閉じて
また、目の前(足元)に目をやっては
グッと自分の中に踏ん張る。
そんな毎日を過ごしていました。
で、思ったのは
人の意見は人の意見(あたりまえーw)
人の正解は自分の正解とはイコールではない。(あたりまえ2ww)
自分の世界に集中してたら平和そのものだけど
外の世界を覗き見ると、人や何かと比べてしまうので心が乱れる
結局、自分らしさって
自分の世界に生きることで
外の世界を見て、自分の足りないところを見るのではなくて
ただ、自分はそうなんだと知るだけで
最初から持って生まれた自分の特性を
そのまま生きて行くことなんじゃないかと。
そのままじゃダメだと教え込まれた洗脳を解きつつ
自分の生きたいように生きて行くことなんじゃないかと。
ずっと自分を縛ってきた鎖を解いて
自由に生きて行くこと。
今までやってこれなかった分
出来ないような気がして怖いけど
もう、これまでと同じ今が窮屈なら
そこへ行くときなんだなと
改めて感じている今の私です。
種から植えたスイカ
過去の自分がどんどん思い出され来ているのだけれど
それを見ながら思うのは
自分のことを否定しなければよかっただけってこと。
すげーシンプルだったんやな![]()
人から言われたことや
人からされたことを
スルーしたり
跳ね返せたりが
小さいころから出来ていた人がうらやましい![]()
ま、そういう性格上の設定も
生まれてくるときに自分が選んでやってきたことなんだろうけど。
うちの家族、末っ子も含めてw
私以外が全員、自分らしく生きているんだろうなって思える。
そして、こんなにぐちゃぐちゃな私も
ぐちゃぐちゃな自分らしく生きて来たんだなって思う。
だから、これからも
みんな自分らしく生きて行けばいいって思う!
久しぶりに出て来て
安定の支離滅裂なまま終わる私もまた
私らしくてよい(笑)
では、まったね~![]()


