はじまり | 相澤治療院のブログ

相澤治療院のブログ

宮城県石巻市に平成26年7月に訪問鍼灸マッサージこころも石巻と自宅に看板のまだない治療院を開業いたしました。令和6年 現在。ほぼ自費の鍼施術 ルート治療をメインに これまで培った技と共にお役に立てるよう精進しております。

私の祖父母は私がまだ子供のころから体が悪く
高校生のときには寝たきりでした。

片麻痺 認知

当時は家族での介護であり母親は大変な苦労であり家族もツラい毎日でした。関節は固まったままで 寝たきりであるため床擦れがおき 痛々しいもので見ていて何をしたらいいのかすらわからない…。
寝てばかりだから体のあちこちが痛くなり 認知の
祖母は騒ぐばかりで…。 知識のない当時の私は痛くて騒ぐと理解できず イライラばかりで だんだん家にいない時間が増えていました。 現実から逃げてしまったのです…。
家族みんなが疲れてイライラしたなかにツラくて身の置き所がなかったのです。

そして紆余曲折を経て私はマッサージ師鍼灸師を目指して勉強することになるのです。
交通事故で長年あちこち痛くなる私はマッサージに通うことが多く マッサージの後のきもちよさはなんとも言えないものがあり随分体も良くなりました。
始まりは誰かの体を楽にしてあげよー!
だったのです。
勉強は思っていた以上に難しく中年の私にはかなりハードでした。しかも病気で右目の視力がないためかなり疲れてしまいます。
いずれは残りの目も失明…。
それがわかっている以上 時間はない 落ち込んでる暇もない!
必死ですf(^^;

自分のため 家族のため 体がツラい方々のため やるしかないですからね。

二年生になると実際に患者様をマッサージしたり機能訓練をしたりさせていただくよりになります。
ぎこちない手技ながらも「気持ち良かった」 「楽になった」と言っていただくのはなにより嬉しいもので励みになりました。
そんなとき母親が末期のガンで苦しみと痛みとの戦いがはじまりました。再び私は寝たきりの看病がはじまりました。
痛み止めも段々効かなくなりむくみも辛くなったとき私は覚えたての医療マッサージを試みました。
優しく力を入れずゆっくりと行う手技です
少しでも良くなってほしいと思い
必死でした。
そしてその夜母親は久しぶりにゆっくりと眠りました。痛みもなかったと久しぶりの笑顔を見ました。まだ勉強不足な私の手技が悔しくもう少し授業が進んでいればもっと具体的な施術がおこなえると悔しくもありました。そんな時母親は帰らぬ人になりました…。その時父親も少しずつ病魔に蝕まれていたのです。
そして私は国家試験になんとか合格し あんまマッサージ指圧師と鍼灸師となりました。そして私は考えました。訪問マッサージをやろう! 動ける患者さんならば自分で行きたい病院や整骨院や治療院やらに行ける。しかし行きたくても動けない患者さんの力になりたい!私は祖父母になにもできなかった。母親にもしっかりとしたことができなかった!だからこそこれからは誰かの役に立ちたい!
そしてハンディがあっても働ける場所を作ろう!無謀ですが希望を持って行こう!と決意しました。
世の中には「神の手」 と呼ばれる凄い先生が沢山いらっしゃいます。私も頑張ってはいますが不器用なものでなかなか神にはなれません。だからこそ勉強は今もしています!でも今は「神の手」 より
「人の手」 でいたい!
人の手の温かさ 優しさを伝えていきたいですね。
人ができる精一杯を今できる手技で伝えて行きたい
こころも 癒す そんなマッサージをしたいです。でもやるからには成果をだせるようマッサージ師として全力で取り組みます!