こんにちは🍀 よもぎのいくえですおねがい


今日は、生と死について私の想いを書きたいと思います。

というのは、最近、立て続けに大切なご家族を失った、大切な友人を突然失った…とご報告を受けるのです。 それと同時に、癌になった、治らない自己免疫疾患になった、親が突然歩けなくなった…などのお話も聞かされます。


私はこれらのお話の中には全てではなくとも、とある原因もあるような気がしてならないのですが、ここではあえて言及しないでおきますね。


今日は朝から早起きをして、夫と息子の朝ごはんの支度をせっせと済ませ、11歳になったばかりの姪っ子とデートする為にうきうきで出かけて、今電車の中でこのブログを書いております照れ


私は夜明けが大好きですおねがい

ベランダから朝日を見ながら毎日思うのは、今日も朝を迎えられたことへの感謝の気持ち。


こなすように忙しく日々を過ごしている時は気がつかなかったけど、今生きてること、元気でいられること、家族が笑っていること、幸せでいれること、平和な時間…これらは全て当たり前じゃないんだと気づく瞬間がいくつもあります。


生と死は、いつだって隣り合わせ。

そして、人の寿命はその人それぞれ。

51歳で乳癌で亡くなった母と、今でも時々お話をします。(ここはつっこまないでくださいね泣き笑い


亡き母は今、どこにいるかと言うと、とっても美しいキラキラした夢のような場所にいます。そこは、苦しいことも辛い事もないんですって看板持ち

でも現世を生きる家族のことは気になるから、これをなんとかしてくれとか、あーだこーだ時々言われたりします。笑(信じるか信じないかはお任せします) 


そんなふうにこの世の方ともあの世の方ともお話?ができるようになってから、そのうちにもう生も死もたいした差がないのだと思い始めました。(いや、あるでしょう笑い泣き


でもね、大切なのはここからなのです。


今生きてる自分として生きられるのは今世だけなんです。

生まれるとき私たちは皆、何かを約束して産まれてきます。でも産まれたら忘れてしまいます。


それが、使命だったり役割だったり課題だったりするわけですけど看板持ち


あれ??自分ってなんで産まれてきたんだっけ?って考えてみたことはありませんか?

普通そんな事って考えませんか??

私は小さい頃からずっと、なぜ生きるのか、なぜこんなに苦しいのか、幸せとは何か…そんな疑問をもちながら成長してきました。今思えばかなり変な子供でした。


この世の中のあらゆる苦しみ、病気も障害も、事故も人間関係のトラブルもなんでも身に起こる全てのことは、自分に与えられた課題のためにあるものだと、私は認識しております。


だから、死ぬ直前まで自分を生きようとすることは、自分の為に他なりません。役割を全うして、気持ちよくあの世に行く為には、自分を丸ごと受け入れ、自分の心に正直であること、最後の最後まで。それ以外に方法があるのか分かりません。


私の母は、小さい頃から怒りんぼでしたイラッ

とても素直で一生懸命だったので、自分のキャパを超えるととにかく怒る怒る😤

そして、乳癌になり、かなり進行してから病院に行った結果、心無いドクターから「あなた、もうすぐ死にますよ。どうしてそんなになるまで放っておいたんですか」と自分への突然の余命宣告にもかかわらず、そのドクターに怒って食ってかかったとんでもない患者でした笑い泣き


それから、そのドクターの言う通り3ヶ月で母はなくなりましたが、ベッドから起き上がらなくなってからも、だいたい怒ってました泣き笑い


当時は私もまだ若く未熟で、そんな母を見るに堪えない時もありましたが、姉が「最期までお母さんらしいね」と言ってくれた言葉に救われたのです。

あー、そう言うことか。

最期だから、自分の寿命を悟って落ち着いた心で綺麗に逝くなんて、確かにお母さんらしくない。


悔しい…悔しくて仕方ない。まだやりたい事が沢山ある。やるせない、そんな気持ちが怒りとなって出ていたのを、堪える必要なんてない。思い切り悔しがって吐き出して逝けて良かったのです😌

デトックスするだけして、かなり身軽になってあの世に行けたのだから。

そして、肺に水が溜まり意識がなくなり死戦期呼吸(亡くなる直前の呼吸)となった状態で、呼び出された家族が全員揃うまで母は数時間も待ち、家族全員が見守る中、心臓が止まる直前に母が何かを伝えようとしているのが分かり、ドクターが酸素吸入マスクを外した瞬間、「ありがとう」と言って旅立ちました。

意識がなくとも、最期にみなに感謝を伝えて逝ってくれた母の思いは、痛いほど伝わりました。その言葉で、どれだけみんなが救われたか分かりません。1人孤独と恐怖と痛みの中、必死に耐えて最後まで母らしさを無くさずにいてくれたことに、ただただ感謝しかありません。


私が思う、自分らしく生きるとは、究極こうゆうこと。笑い泣き

もちろん、死を受容できたらもっと違う素晴らしい景色もみえるのかも。でも、分からないのに分かったように振る舞うのは自分に嘘をついている。

自分には、嘘はつけない。


そして、いつだって、死を意識して生きれなければ、本当の意味で生を全うすることなんてできないと思います😌 一つ一つの人生が、魂が、キラキラ輝くものであってほしい。自分の命を自らたったり、人を傷つけるような世界が大嫌いだ。


私は、明日死ぬかもしれないつもりで、今日を生きるように決めています。(極端ですけどてへぺろ


なにがなんでも決めたことをやるとか、物理的なお話ではなく、自分に嘘つかず、自分ができる最大の後悔のない選択をして生きる、という話です。 そう言うほど簡単なことではないのもわかっています😌 でも人生は限られていますから。自分の人生の責任を持てるのは自分だけなので、今世の自分を全力で楽しんで面白がって生きたいと思うのです。

一日一日を大切に生きるということは、そうゆうことなんじゃないでしょうかニコニコ


長くなりましたが、最後まで読んで下さりありがとうございました🌸