前回の記事のその後。
上手くいった次には、上手くいかないことがある訳で…
まだ、夜泣きがある2歳の娘。
3時頃に「ママダッコー!」と泣きながら目を覚ました。
初めは、抱っこしてヨシヨシなんてしてたんだけど、寝たかと思ってベッドに置こうとすると泣くし、もう少しかなーとベッドに戻って抱っこしながらケータイ見たりするけど、両手で抱っこするより余計に重く感じるし、虚ろな中でも「アッチ、アッチー」と“廊下で立って抱っこしろ”と指定してくるし…中々寝付かない。
時間が過ぎる中、腕も痛くなってくるし、寒いし、眠たいし、ケータイも見たいしで、だんだんイライラしてきた。
いつもなら、ここで夫にバトンタッチするんだけど、今日はその夫もいない
「あー、寝たい。疲れたよー。早く寝てよー。ケータイ見たいよー。寒いよー」なんて口にしてみるけど、解消しないイライラ。
「寝ながら抱っこしようー」と抱っこのまま横になるけど、「オフトンカケテ、イヤー!」と拒否られ、希望叶わず。
思わず、ベッドに置いて、泣き出す娘に、「抱っこしたんだから早く寝てよー!」と八つ当たりしてしまった。
益々泣き出す娘に、私のイライラも限界。
このままだと、娘に手を上げてしまいそうだった。
前の私なら、手を上げてたと思う。
叩いていたと思う。
実際、上の子が娘位の時、何度手を上げたことだろう…(本当に、申し訳ない)
でも、今回は、違った。
娘に、手を上げなかった。
手を上げる代わりに、
ベッドに横になって、休んだ。
毛布をかけて、ケータイを見た。
「ママダッコ!ママダッコ!ママダッコー!」と連呼しながら大泣きする娘をそのままにして。
ほんの数分のことだったと思う。
ケータイをみている間、不思議なことに、娘の泣き声は、あまり耳に入ってこなかった。
イライラするのは、自分がやりたいことを我慢しているから。
だから、我慢しないで、休んで、ケータイ見て、自分のやりたいことをやった。
私は、
母親は、そんなことをしてはダメだと思っていた。
子供が泣いたら、あやさないといけないと思っていた。
母親は我慢するものだと思っていた。
母親は、自分より子供を優先するべきと思っていた。
そんな「ダメな母親」になりたくなかった。
そんな「ダメな母親」になるのが怖かった。
「いい母親」でありたかった。
でも、イライラするのは、自分がやりたことを我慢しているから。
それなら、イライラしないために、自分が、やりたいことを我慢しないでやった。
大泣きする子供を放って自分を優先する、「ダメな母親」になった。
なりたくなかったのに。
怖かったのに。
でも、簡単だった。
ただ、“大泣きする娘を放っておく”、という罪悪感を捨てるだけだった。
自分を優先するだけだった。
娘は大泣きした。
でも、手を上げずに済んだ。
娘を放って自分を優先した。
でも、その後、イライラせずに抱っこできた。
「子供に手を上げる母親」にはならなかった。
そしたら、子供より自分を優先する母親は、ダメな母親じゃなくなった。
母親だけど、1人の人間。
自分の子供に、愛情を感じない母親はいない。
そんな大前提があるから。
そんな自分を信じられるから。
ほんの数分間でいい。
自分を優先することで子供に優しくなれるのなら、
子供より、自分を優先していい。
心からそう思える。
おわり