前回の記事を書きながら、気づいたこと。

「助けて」が言えない背景には、私のそもそもの意地っぱりな性格もあるのだけど、義母の存在もあるのかなと…

 

朝のイライラを振り返る

朝の忙しい時間、私はいつも焦る。

焦るのは、自分が不器用で時間がかかるから。

それなのに、間に合わせなきゃ!と時間が気になって仕方ないから。

時間に間に合わないと、幼稚園バスの先生やみんなに迷惑を掛けるから。

そんな、迷惑を掛けてはダメは母親だと思われてしまう、と思っているから。

 

そんな私自身を、ダメだと思うから苦しくなる。

苦しくなるなら、そんな私自身を認めて、そんな私でもいいと思ってしまおう。

…うん。ここまではわかる。

 

でも、待てよ?

これが、対 夫となると、どうだろうか。

ダメな妻・ダメな母親とは思われたくない私がいる。

夫の前では、「いい妻・いい母」でいたい私がいる。

ご飯の準備が涼しい顔してできる妻・母、

子供のお世話をさっくりとできる妻・母、

イヤイヤする子供にイライラせず対応できる妻・母、

そんな妻・母でいたい私がいる。

 

そんな時、私は、無意識に義母(=夫の母)と自分を比較しているのかもしれない。

 

義母は、器が大きくて、嫌とは言わない人。

ごちそうしてくれるご飯もいつも美味しくて、子供達のいたずらにも笑って対応できる人。

子供達を、感情に任せて怒るなんて、見たことない。

そして、夫曰く、「昼も夜も働いて、家族の中では一番働き者」だったそう…

今でも、私が子供達を見て欲しいとお願いすると、予定がなければ快く見てくれる。

そんな、できた、素敵な義母

本当に、スゴイと思う。

 

私には、真似できない。

私は、お義母さんには敵わない。

 

それなのに、なぜか、そんな義母に対抗意識を燃やして、勝手に義母をライバル視して、 不器用な自分、すぐにイライラする自分を勝手に「ダメな妻・ダメな母」と思い、「そんなダメな妻・ダメな母では、夫に嫌われてしまう」と怖かったのかも。

だから、そんなダメなところを夫に見せたくなくて、隠そうとして、義母のような「いい妻・いい母」でいようとして、夫には余計に「助けて」と言えないのかもしれない。 

 

でも、私とお義母さんは違う。

 

私は、不器用だし要領も悪い。

それなのに、完璧を求めて時間がかかってしまったり、時間に合わせて行動するのが苦手。

でも、私は私。

そんな私でもいいと思えてきたこの頃

 

お義母さんみたいにならなくていいんだからねー

そう、自分に言い聞かせよう

 

お義母さんに負けてもいいんだよー

お義母さんと張り合わなくてもいいんだよー

いい妻・いい母になろうとしなくていいんだよー

ご飯の準備に時間かかってもいいんだよー

イライラしてもいいんだよー

怠け者でもいいんだよー

「助けて」って言っていいんだよー

ダメな妻・ダメな母でいいんだよー

そんな私でいいんだよー

 

おわりつながるうさぎ