小林生人の日常ブログ -3ページ目

33R

敗戦後の控え室。


初の体験。


(負けたか…。)


試合前、勝つイメージがどうしても浮かばなかった俺は、そこまで落ち込まなかった。



自分のメンタルの弱さがもろに出た試合…。



もちろん勝ちたかった。



けど、試合中も相手の動きにどう対処していいのかわからず、ラウンドが増していった。



終わってみれば、完敗。



試合の翌日まで、地元の先輩や友達が一緒にいてくれた。



翌々日、俺は朝から1人で池袋のパチンコ屋で、小堀のバイトが終わるのを待っていた。



(小堀、早く相手してくんねぇかな-…。)



月曜日の朝からパチンコ屋…。




独りで居るのはつまんなかった。




店を出て、とあるパチンコ屋に入ると、人相の悪い坊主頭の若者が、ボケーっと立っているのが目に付いた。




(コイツも平日の真っ昼間から何つっ立ってんだ?)




通り過ぎるついでに目をやると、どっかで見た顔だ…。



よくよく見ると、その若者は“渡邉一久”だった。



突然話しかけた。




「おい!こんなとこで何やってんだ…?」




『えっ!?』



一久もやることがなかったらしい。




後楽園ホールのリング上で闘った両者は、試合の翌々日、偶然にもパチンコ屋で遭遇…。






笑った。





つまんなかった気持ちが一気に飛んで、2人で小堀のバイト先へと駆け込む。






そこで強引にも働いていた小堀と菊地を早退させて、渋谷へ遊びに行った。




目一杯遊んだ頃には頭の中のモヤモヤは吹き飛び、徐々に普段通りの生活に慣れていった。







試合から、一月がたった頃、後楽園ホールでマネージャーに



『今、試合してる勝者と試合組むから。』




「わかりました。よろしくお願いします。」





そして試合が終了。




対戦していたのは、角海老宝石ジムの秋葉慶介と、船橋ドラゴンジムの萩原裕樹。





僅差の判定で勝利を勝ちとったのは、勢いにのった秋葉慶介。






ジムの先輩、WBA世界ミニマム級チャンピオン新井田さんの前座で、9月2日に秋葉慶介(角海老宝石)との試合が決定した。

32R

自分の入場が終わり、赤コーナーからチャンピオンの登場。




早く来い…。




またされるのは嫌だ。






場内が暗くなり、なんとチャンピオン2階からド派手な入場。





そんなことは知らなかった…。






俺は待っている間、ただただ立っているだけ。





ようやくリングに上がってきた。







リング中央に行き、レフェリーチェックで顔を合わせ、田中トレーナーと共に俺の前に現れたチャンピオン。




変な感情が過る。





元々ボクシングを始めた理由は、角海老宝石ジムの小堀佑介の影響だ。




小堀の紹介で角海老宝石に入会し、初めてジャブを教えてくれたのが田中トレーナーである。





その田中トレーナーが相手側のチーフセコンド。



(…。)






そうこうするうちに開始のゴングが鳴り響く。






さあ始まった日本タイトルマッチ。






1Rはいつも様子見であまり自分から仕掛けない俺だが、このときばかりは、中途半端に手を出し始める。




相変わらず、余裕のチャンピオン。






いつもと違うスタートを切った俺は、開始30秒程でペースをもってかれた。







ペースを握るのが上手いチャンピオンは、ド派手なパフォーマンスをしながら試合を進めた。





1R終了時点でセコンドが俺にかけた言葉は、




「チャンピオン緊張してるぞ!!」






(えっ!?あれで…?)







俺には全く余裕の表情にしか見えなかった。





そして俺はセコンドの言うことが半信半疑になった。


2R突入。





またもや余裕の表情でのボクシング。





俺はペースを握れず、いっぱいいっぱい…。






チャンピオンのラフな攻撃で、しりもちを着いた。





(やべー、倒れた…。)






レフェリーが間に入り、




「スリップ!!」





と声を上げた。





(なんだよ、スリップかよ。)






チャンピオンのラリアート気味に倒された為、ダウンではなく、試合は再開。







2R終盤、残り10秒の場面で、俺の右ショートストレートがカウンターでチャンピオンの顎を捕える。





チャンピオン腰を大きく落とし、グラグラに…。






狙って打ったパンチではなかった為に、俺は反応が遅れた。






とっさに、



(ん…、効いてる?)




無我夢中でパンチを振ったが全く当たらず、2R終了。




続く3、4、5R再びチャンピオンのペース。





俺は思うようにボクシングができなくなり6Rに突入。




やはりチャンピオンはうまい。





俺はボクシングの幅が狭く、急な展開時での頭の切り替えが下手くそだ。






ラウンドの中盤には、ロープを背負わされて猛攻撃を受けた。






終盤には一発俺の右が当たって少し効いたようにも見えたが、体が動かなかった。





チャンピオンのパンチを結構もらった為に、ダメージが溜まる。





6R終盤から一気に体が重たく感じられた。







7R以降も山場は作れず…。




8Rは自分にペースが傾きかけたが、9Rはまたもってかれた。




そして最終10R、再びチャンピオンの猛攻撃…。





ロープを背に、かなり浴びてしまった。





10R戦って、相手に決定的なパンチを浴びせたのはたったの一発のみ…。




その一発は、練習で何千回と岡トレーナーのミットを目がけ、打ってきた右のショートストレート。




やはり最後は、練習で培ったことが試合に出ると知った。





3ー0の判定敗け。





完敗。






この日の応援合戦は凄まじかった。





試合ではチャンピオンに敗けたが、応援してくれた人達の熱さは勝っていたと思う。




熱い応援、熱い声援、どうもありがとうございました。





2006年5月20日



14戦13勝(8KO)1敗


31R

2006年5月20日。



身支度をし、家を出る。



いつもと何ら変わらなく、後楽園ホールへ向かった。



電車に乗っている時はひたすら音楽を聴きながら集中。




後楽園ホールに着いてしまうと、異様な雰囲気に包まれ緊張してしまう。





ホールに着くまでの道のりが、自分にとってはとても安心する時間(タイム)だ。






普段なら長い道のりだが、試合の日はあっという間に着いてしまう。





水道橋駅で降りて、徒歩5分。





エレベーターで5Fへ上がり、ドアが開いたと同時にあの独特の匂いと新たな緊張感がスタートする。







青コーナーの控え室。






控え室に着くと会長、岡トレーナーはスタンバってくれていた。





当日のパンフレットを見ながら、着替え、バンテージを巻く。




ここでトレーナーの1人が言った。



『小林、パンフレット見たか?新聞記者の予想はおまえ有利になってるぞ(笑)』



「マジっすか?…本当だ。」





なぜなのかよくわからなかった。






俺が、日本のボクサーの中で一番やりたくない相手は渡邉一久。





彼のデビュー戦をたまたま見に行った時にそう感じた。



(コイツとはやりたくねぇな~)




負けるときは派手なKO負けするタイプだが、勝つ試合は、自分のペースに相手を引きずり込み、結果、相手は何も出来ずに負けてしまう。





その相手と今から対戦する。




しかも、ただの試合ではなく、[日本フェザー級タイトルマッチ]という称号。







メインは角海老宝石の本望信人VSフィリピン人との東洋太平洋Sフェザー級タイトルマッチ。





俺はセミファイナル。






そうこうしているうちに、セミセミファイナルが終了。





初めに青コーナーから、挑戦者の入場。




自分の入場曲がかかり、薄暗い階段を登っていく。





前日まで過酷の減量を強いられていたボクサーにとって、この階段はキツい。



色んな意味でキツい。


階段を上がったらもう引き替えせない。




ある意味、階段が最後の宣告。





「イッテコイ」


と、

自分に言い聞かせ、ホールの重い扉を開けると…








そこは…今までに経験したことのない、物凄い声援や歓声が発っせられ、異様な雰囲気に包まれた光景だった。