京都新聞取材班著「自分は”底辺の人間”です」
昨年 「アーベド・サーラマの人生のある一日」 パレスチナの物語という一冊を読んだ毎晩おばあちゃんが孫の子守歌に長い諍いの歴史を持つ相手に対しての憎しみの物語を聞かせる場面があったもう 無理なんだ恨みの連鎖が断ち切れない限り殺戮の歴史は繰り返されるのだと大げさに言うと虚無感にさいなまれたニュースを見ても戦争はさっぱり終わらないどころか頻発しているじゃないか年が明けて京都アニメーション放火殺人事件を扱ったこの一冊を読むことになったここに記されるご遺族の一人が犯人に対してお子さんに恨みを抱かせないためにご自身が憎しみの感情を持たないように努力されている様子が紹介されていたそれは気持ちをうんと抑え込むものであり体を蝕んでしまってもいたそれでも彼はその努力を続けるばかりか犯人と接見して話し合いさえなさったふと 夫に聞いてみた仮に私が凶刃に倒れたとして裁判の傍聴に出かけたりする?と夫は それは行くねと即答したので驚いた一応言い分を聞いてみたいしねと続けた逆の設定としたら私は一切接触しないだろうしそうした方が良さそうなのだなにしろ自分の感情を抑えることが難しく粗暴な行いをしてしまう そういうタイプなのだつまり私は戦争を起こしてしまう人カテゴリー容疑者の方に重点を置いた作品かと思いきやちがったわけでとても深く考える機会を得た一冊だった講談社 1,700円+税