こちらに来ないうちに色々ありまして、なかなか書くこともままならない状況でした。
4月14日、熊本に震度7の大地震が襲い、続く15日深夜に震度6弱、そして16日、14日のが本震と言われていた熊本に震度6強の地震が襲いかかりました。
東京に友達と旅行に行き、14日の20時30分に自宅に帰宅し約1時間後の9時26分、大きく突き上げる揺れのあとの激しい縦揺れ。私の部屋の本棚は倒れ無惨な状態に。家の中も、市内中心部の街並みも、帰宅する前、帰宅した直後の姿から何もかもがらりと変わってしまいました。そして、本震だと述べた気象庁の言葉にこれからは余震だと少し安堵したその直後の、4月15日00時03分、震度6弱の地震、6弱でまた食器の割れる音、みんなの悲鳴が響くリビング。訳がわからずパニック状態。そして4月16日の01時25分の震度6強の激しい横揺れで目覚め、長い間続く揺れに毛布を被って耐え、揺れで天井にぶつかって割れた電球のかさが割れ、自分の枕元すぐ横に落下。お皿が割れる音、物が倒れる音やらマンションが軋む音を聞きながら揺れが収まるのをひたすら待つ数分。もうこの時はさすがに、私は死ぬのかと覚悟したのを思い出しました。熊本では揺れは今でも続いています。
何がなんだか分からない時、街の現状を把握する為に会社帰りに遠回りして歩いた時にふと目の前に見えた熊本城が見るも無惨な姿へと変わっていて、何も言葉が出ず、今後に不安を抱いたのは地震から5日目の夕方でした。
日々何度も何度も来る余震に疲れ眠れず、会社で睡魔が襲う状態。水が出ないので会社が終わってから無料、有料問わず並んだお風呂は帰った頃にはクタクタでした。
市内中心部で避難所もどこもいっぱいで入れず自分達で食料を何とか確保し、近くの高校や車中泊で夜を過ごし、昼間や夕方はいまだ危険度判定の終わってないマンションの中で過ごしていました。そして、ようやく水が出た頃、日々の地震のニュースに疲れ、たまに見るバラエティやらドラマに心癒されて。すぐ逃げられる様にとある程度の時間で寝るので遅くまで執筆活動も出来ずじまい。
そんな状態が続いた先日、私は漸く書き始めました。
家の片付けをしながらボランティアを間にする中で私にできることは何か。そう自分に問いかけたとき、自分が作家志望であることを改めて自覚させられました。
私に出来ることは書くことなのだ、書くことで熊本に貢献することなのだと、作家志望という立場を改めて自覚させられました。辛い記憶も過去も文字にして、人々の想いを昇華させる、それが出来るのは文章を書く側の人間なのだと。
作家志望であると同時に、私が出来ることは書いて熊本に貢献すること。それこそが私が生きる理由なのではと思った出来事でした。
大好きな熊本のために、私は書くことで貢献したい。書くことで復興の手助けをしたい。一日も早い復興を祈って。
2016.05.05 湊川 郁












