では、『生島ヒストリー7』です。



…さて法政大学に入学。
とりあえず落ち着いた下宿は、北区十条にあるアパートの三畳間。
日当たり不良、窓を明けるとすぐ隣りの壁が見えます、ってな感じ。
トイレはもちろん共同和式トイレ、そして共同台所。

絵に画いたような貧乏学生生活で、このときの三畳間は、
小林多喜二の『蟹工船』そのものの暗さだった。

そして、ボクの正装はというと、下駄ばきに学ラン、角刈り頭。

ほとんど右翼学生といういで立ちだったが、
さすがに腰から手ぬぐいだけはぶら下げていなかった。