今日、ライオンズゲートってヤツですよね。
すごい日?なのかな??
そんなに解っていないです。
けど、今、もし自分が一番世の中に伝えないといけないことを、勇気を出して伝えるとしたら、何だろう?と考えて、題のことだなぁと思いました。
私は、自分で自分のことを、犯罪者だと思ってます。
正確に言うと、犯罪を犯すつもりはなかったけれど、結果として犯罪を犯してしまった、犯罪者だと思ってる。
で、それは、自分が精神障害者であることと、無関係ではないと思ってます。
状況判断が出来なくなってた。
あまりに、生きることが苦しいから。
犯罪って、しちゃいけないものなんでしょうか。
・・・まぁ、もちろん、そうですよね。
ならなぜ、犯罪なんてものがあるんでしょうか?
犯罪者を犯す人は、犯罪を犯してもいいと思って、その犯罪をやってるんでしょうか?
私は、私以外の人間のことが、本当の意味で解るわけではないと思います。
けれど、自分の経験から察すると、犯罪を犯してもいいと思ってやっちゃう犯罪者って、そんなにいないんじゃないかな。
そんな思考を持てたら、悪いことドンドンやって、悪い金をがっぽがっぽ稼げるかもですが、例えば、暴力団の人だって、その人達同士の信頼関係は大事にすると思います。自分の命がかかってるもんね。
自分以外の人は苦しめてもいい、何て思考を持ったら、この世の中、すごく生きにくくなります。
人と、協力して、何かをできなくなるもの。
自分以外は敵になってもいい。だから、自分は自分のために、人を苦しめる犯罪をしてもいい。
そんな風に本当に考えられる、ある意味強い犯罪者って、どれだけいるんだろう?
私がニュースで見る犯罪者は、だいたい強くありません。
あ、この人、精神障害あるのかも…と思う人もいますが、恨みのエネルギーは強くっても、全体を通して、人間としては、強くない。
弱いから、正攻法では戦えなくて、別の変なところで戦いを選んでしまう。
だから、私は願うんです。
どうか、弱いままでも生きていける社会でありますように。
弱い人が、強くならなくても、生きていける社会でありますように。
自分が弱いままでいいと思える人は少ないです。
バカにされたくない、自分を貶められたくない、そう思う気持ちが、やがて人への恨みに変わったりする。
私は、仁さんから変人さんと言われるくらい、わかりやすく変わってるみたいだけど、それでもやっぱり『変わってる』って言葉は胸にきます。
あの人、変わってるね
あの人、ちょっと変じゃない?
たぶん、ホントに変わってて、変であっても、本人はそう言われると傷つきます。
人を変わってると思ってはダメ
人を変と思ってはダメ
そう言いたいんじゃないんです。
変わってて、変に思える人も、可能な限り関係を持ってあげてください。
あなたがしんどくなったら、即、手を切っても構いません。
けど、どうか、しんどくなってから、手を切ってください。
『私は、これをされると嫌なの。だから、あなたと付き合えません』
できれば、理由を伝えてあげてね。変な人は、自分の何が悪かったのか、わかってないものです。
精神障害って、たぶん、健常者から見て、よくわからないものに対しての言葉です。
だから、犯罪を犯した人の言い分が『???』となるなら、精神障害の管轄にいれてくれても、私的には構わないと思ってます。
ただ、人に『???』と思われる頭の構造を持ちながら、この世に生きてる人がいます。
犯罪を犯すまでは、たぶん、それなりに必死に普通の人に合わせて生きていっていたと思います。
今はお薬のいいものも出てますが、お薬は頭の働きを鎮めるので、体が重くなったりもします。
そのせいで、薬を飲むのを嫌がる人もいます。
私が、今、自分の犯罪について、どう考えているか。
犯罪となるようなことに繋がることは、しない方が良かったと思います。
けど、それをした時も、それをすることが大きなことだとは、一応わかってしていました。
人への被害はないと思っていたけど、人間、想定内にはことは進みませんね。
あの時、そのことをしなかったら、私はどうしただろう・・・?
死んでたかもなぁと思います。
そして、私は、すごく辛い思いをするくらいなら、死んでもいいと思っている方です。
人間には、耐えられない辛さがある。だから、どうしても無理な時は、死ぬしかないと思っています。
犯罪につながることをして、それでも生き残った私が思っていることは、あの時別に死んでも良かったなぁということです。
人に迷惑をかけずに、死ぬ方でも、別に良かった。
私は、死ぬと、無の世界に行くと信じていたい方なので、死んだら地獄には落ちずに、無の世界を漂っているイメージです。
それでも良かったと、本当に思います。どうせ、いつかは死ぬんだしね。
ただ、現実はそうではなかった。それは、結局は私が生きたかったということだと思います。
無駄に希望を持ってしまった。
その希望は、はたして無駄なものだったのかどうか…?
それは、これからわかっていくのだろうと思います。
今の私は、昔と、状態が全然違います。
相変わらずの躁うつ病ではありますが、昔くるしんでいた、不安障害、昔は神経症って言われてましたが、それがほとんどないんです。
そりゃ、こんなだったら、あの頃の私だって、生きていけると思っていたと思います。
人の苦しみ何て、しょせん、人には解りません。私の生きる苦しさを、周りの人が知るのは難しかったと思います。
私は、昔の自分を助けるために、今生きているようなところがあると思います。
昔の自分に『こうしたら、楽になれるんだよ』と伝えたくて、生きてるんじゃないかと思います。
昔の自分に言う代わりに、昔の自分に似た人に、それを伝えているところもあります。
あの時の私が泣きながら目の前に立っていたら、私は生きろとは言えません。
けど、こうは言えます。
『とりあえず、犯罪まで犯して生きることを選択した場合の結果がこんな感じ。
神経がピリピリして、音が辛いのは、もうほとんどないよ。
楽しいことも多い。
まぁ、ちょっとストレスかかると、入院するようなメンタルの弱さは変わらない。
どう?生きてみる?』
と。
昔の私が
『犯罪を犯さずに、その道に進む方法はないの?』
と聞いたとする。
私はこう答えるしかありません。
『その方法は、私は試せなかったから、わからない。
けど、そんな方法も、もしかしたらあるのかもしれない。
私も、今でもその方法を知りたいと思ってる』
と。
猿から人が生まれてくる過程でもずっと、人は人を殺してきたと思います。
けど、本当に人を殺したくて殺す人はどれくらいだろう?
人を殺さずに生きていける道がわかっていたら、そちらを選ばなかっただろうか。
いつも、私はそんなことを考えながら、生きています・・・。