物心ついた頃から私はおばあちゃん子でした。
父は三人兄弟の長男で祖父母と同居生活を送っていました。
小さい時は、父母は家業の繁栄のため夫婦力を合わせて奮闘し、家業を引退した祖父母が主に私たち兄弟の送り迎えなどを担当してくれる家庭でした。
毎日豪華で美味しい母の手料理、賑やかで幸せな家庭そのものでした。
父は元高校教師、先生という仕事が天職のような人でした。
私たち家族だけでなく、誰に対しても世話焼きでユーモア溢れる言葉で人を優しく包み込む、そんな男でした。
母は本当の頑張り屋さん。容姿端麗で何でもできる完璧な嫁であり、妻であり、母でありました。
今考えると強烈な祖父母と父母。
学校の入学式は、一番目立つ雑誌の一ページかと思う着物姿で両親が現れる。
今になって学校の後輩に会うと、私の事を制服にVITTONのベルトをしていたとか、通学にHermèsのバックできたとか、遠足のリュックがPRADAだったとか、私も記憶にないような武勇伝が飛び交います。
それほどに父母には、学生の時から何に関しても本物を教えてもらいました。
教育に良い悪いはわかりません。ただ私の今に生きる価値観や感覚的なものを授かったと思っています。
物質的豊かさはさておき、一番感謝したいのは自己肯定感を植え付けてくれたことです。
これは主に祖母と父が私にかけてくれた言葉に宿ります。
祖母は私がまだ幼い頃、私が将来美人になると親戚に言いふらしていました。
「おばあちゃん恥ずかしいからやめて」と私が言うと、
「おばあちゃんが毎日育菜ちゃんと一緒に居て、育菜ちゃんの心は美人の心。顔も可愛いけど、美人は心が美人なの。」
そう私の心を指さして唱えてくれました。
おばあちゃんは三兄弟の母なので、初孫が女の子で私をそれはそれは可愛がってくれました。
当時メゾピアノという子供服のブランドがあったのですが、私はメゾピアノの回し者かと思うくらい頭の先から足先まで完璧な着こなし。それもたまにではなく毎日です。
小学校にあがるまで私はズボンを履いたことがなかった。それくらい毎日パニエにタイツを履き、髪もパーマできまってました。
そんな女性としてあるべき姿を教えてくれたおばあちゃん。
私に音楽をさせてくれたのも祖母です。お嬢様育ちの祖母は音楽が好きでした。
発表会の日には、子供が喜ばないくらい大きなカサブランカの花束をもってデビ夫人の装いでど真ん中に座っていました。
すごく気が強く、腹が立ったらおじいちゃんに巨峰をぶち投げて喧嘩していましたが、人一倍厳しくもあり優しくもある素敵な祖母は私の自慢のおばあちゃんでした。
そんな祖母の愛情たっぷりに育てられた父。
父は祖母にとって自慢の息子だったと思います。
祖母は、夫婦で苦労して育てた長男が学校の先生になったことを大変喜びました。
今私も夫婦で自営業をしながら三兄弟を育てているので、祖母の気持ちが想像でき目頭が熱くなります。
父は私にとって、ピンチの時には必ずヒントとなる言葉をくれる。そんな存在でした。
自主性がなくなるような導き方を絶対にしない、自分の意志で私たち子供が進んでいけるように道しるべを示してくれる人でした。
中学受験の時毎日父が塾の送り迎えをしてくれたのですが、父が私に言ってくれた言葉が今も私の心で生きています。
「おまえはパパとママの子だから、何もできないことはない。努力すればなんでもできる。だから大丈夫」
「おまえは成功の星の下に産まれてきてる」
そんな父の言葉がくじけそうになった私を何度勇気づけたか分かりません。
私の消化しきれない気持ちを父がいつも受け止めて、物事の考え方を植え付けてくれました。
自分に正直に、自分を大切に生きれるように。
勇気をもって何にも囚われず、常に王道を歩いていけるように。
そんな人生において最も根付く教えを二人から得たと思っています。
幼い頃から、自分を肯定されて育ったために確かに気が強く一筋縄でいかない子供だったと思います。
人より目立ってしまうゆえ、集団でやんちゃをしても代表して謹慎処分を受けたりする損な役割でした。
人の価値観に当てはめられることを嫌い、天真爛漫に学びも遊びも制限なく積極的にしていました。
学生の時から歌のレッスンにヨーロッパに単身で出かけたり、留学にも積極的に行きました。
そんな環境を与えてもらえた両親に感謝しています。
社会人になり某日系航空会社に就職しました。
その時に、今の金銭感覚じゃあ働いている意味をなさない。そう思いました。
親から与えられていたクレジットカードをハサミで切り、一度自分の給料で生活してみました。
そうすると十日も経たないうちに、社会人一年目の給料が底をつくのです。
その時もう主人とお付き合いしてたのですが、ドン引きされながら主人に借金していました。
私の金銭感覚を正常にしてくれたのは夫です。
数年という歳月がかかりましたが、結婚する時には何も満足に欲しいものを自力で買うことができないながらも身の丈を理解した生活をすることができていました。
今でも欲しいものは信じられないくらい高いし、夫は大変だと思います。
ただ流行りでものを買うという習慣より、常に一生ものを大事にする私のスタイルは、私らしくて良いと思っています。
女性は好きなものを身につけ生活することで、容姿だけではなく心も躍るのです。
心躍らせていると女性は魅力的です。
価値がわかる人は、自分に合うものを知っています。
広い店の中で、パッと自分に合うものを手に取り選べる。それは幼い頃からの習慣だと思います。
これが私に似合う、あの子はこんな服装が似合う、ママはこれを着ていたら一番可愛い。
そんな風に幼心に美的感覚を刺激していました。
良くも悪くも私の生い立ちだから今の私が存在していると思います。
与えてもらった唯一無二のものと宝物にして、年齢相応の身の置き方などを加味して今の自分です。
今までお嬢様時代を自分から話すことなんてなかったです。
親の力なので、これは私の何の自慢にもなりません。
でも生きてきた証として、生い立ちを綴っておきます。