朝から心斎橋店と大東店でお仕事無事に終えました♪
あいにくの雨模様ですが、お足元の悪い中ご来店ありがとうございました。
題名の通り、私にも人生の転機となる出来事があります。
皮肉なことですが、それは最愛の父を亡くしたことです。
小さい頃から、ずっと父親が大好きでした。
私の名前を「いくな」と名付けてくれたのも、父です。
嫁にいくな!という想いを込めて、いくなと名付けてもらいました。
元高校教師の父は、よくテスト勉強に付き合ってくれたり、悩みを聞いてくれたり、誰よりも私に寄り添ってくれました。
いつも父からかけてもらう言葉は、私の心の栄養となり、沢山の自己肯定感を父から与えてもらったと思います。
私には甘く、良いも悪いも、いつも娘が可愛い気持ちが勝ってしまう父でしたが、24年しか一緒に居てくれなかったけど、一生分の愛情を注いでもらったと思います。
私の両親は両親間で生体腎移植をしています。
若いころから会社をとにかく軌道に乗せようと頑張った父は、健康をかえりみず糖尿病と高血圧症を患っていました。
私が社会人になったと同時に父の腎臓の数値が危ういと医師に告げられ、母が私たち兄弟に母の片方の腎臓を父にあげたいと思うと話してきました。
えーまじで!お母さん大丈夫なん!
そう思いましたが、ずっと連れ添って何事も一緒に乗り越えてきた両親です。
母がそうしたいなら、よろしくお願いします。父を助けてください。素直にそう思いました。
そして2011年3月に両親間で腎移植をしました。
覚悟はしていたものの、大病院の手術室に両親が揃って入っていく不安は今でも鮮明に覚えています。
若干23歳、弟たちはまだ学生でした。
幸い移植手術は成功し、両親共術後の経過は壮絶なものでしたが、日に日に回復していきました。
仕事を休ませてもらって両親のそばにいましたが、その間にお父さんとお母さんってこんなに愛し合っていたんだな~と娘ながらに感心しました。
夫婦のあるべき姿を見せてもらった気がします。
その後両親が退院し、ドナーである母も回復し、父は生き返ったかのように元気にしておりました。
心の底から安堵の気持ちを覚えました。
その約三か月後に、父は急性心筋梗塞で亡くなりました。
趣味の山登りの道中で倒れていたそうです。
移植の後、これから父と母と過ごす幸せな未来を夢見ておりましたが、急に奈落の底に落とされます。
実は父が亡くなったのは、主人と結婚式をあげる二週間前のことでした。
結婚式の準備を誰よりもでしゃばって頑張ってくれていた父です、一緒にバージンロードを歩く日を誰よりも楽しみにしてくれていました。
父が亡くなってから、口から物が通らず結婚式までの間にげっそり痩せてしまいました。
結婚式をする気力もなかった中、お父さんが楽しみにしてた式だからあげよう!と力強い言葉をくれた義父(今でも大好き!)と式当日までの準備を全て引き受けてくれた友人達には、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
父の葬儀と結婚式が終わり、失った存在の大きさを実感する毎日でしたが、一人遺された母の事が心配で自分の悲しみに向き合う時間はあまりなかったように思います
でも時が経つと、ふとした事で涙が出たり、私はもう父がいないんだなと思うと泣けてきたり、実感するようになりました。
真正面からこの現実を受け入れるのはしんどいので、
この先大切な人が大切な人を亡くした時、私が寄り添ってあげれる人間として神様に選ばれたんだな!
そう思うことで、落しどころのない気持ちを整理できる気がして、そう思うようにしてました。
今年で父が亡くなってちょうど十年になります。
父が亡くなった事は人生で一番辛い経験でした。
でも人生で最も学びの多い経験でもあったように思います。
父を亡くすまではずっと世間知らずのお嬢様生活でした(本当に感謝w)が、父がいなくなってしっかり自分の足で立つ必要性を感じずにはいられませんでした。
親はいつまでもいない。
自分の力でしっかり立つ!これが両親に最高の環境を与えてもらい育ててもらった事への、私がすべき恩返しだと思っています。
起こってしまった出来事を、悲観的に捉えるか、その経験の中に学びを見出すかで
その後の人生は大きく変わると思います。
今父の姿はなくても、父はこう言うだろうな~父ならこうするだろうな~という父の声が私にはわかります。
私の中でずっと生きてる感覚です♪
昨日ちょうど夢に出てきてくれました!
私の頬っぺたにすりすりしながらべたついてくる夢でした(^^♪
普段父の事を話すと、すぐ涙が出てしまうので、人に話すことはないんですが、、、
明日は父の日なので、今日は特別です♪
いつかあの世に行って、父と再会できた時に褒めてもらえるように、これからも頑張ろうと思います!
三兄弟を立派に育てて、天国の父があの世で孫の自慢ができるように(^^♪