12/8
今日は予定がありませんでした。
得意先の忘年会がありましたが欠席し、専務に代理出席してもらいました。
朝のテレビで南極大陸の特集を見ました。
南極は日本の国土の約37倍もあるということで驚きました。
そこにはペンギンやクジラなど珍しい生き物が多く生息し、その大陸自体が近年溶け始めているとのこと。北極でも同じ現象が起こっています。
地球規模の問題であり、私の力ではどうにもできない。
「自分の死後の問題だからもういいか」と思ってしまう瞬間もありましたが、この考えは危険だと分かっています。
このままでは、人類の未来が心配になるばかりです。
世界の指導者たちは、何を考えているのでしょうか。
日中は、石油会社を訪ねたり、婦人会の会長さんが来てくださったりしました。
その後、資料整理など事務作業をして過ごしました。
12/9
美馬地区保護司会の研究会と懇親会(忘年会)が開催されたため、来賓として参加しました。
久しぶりに現役時代の保護司仲間とも再会し、懇親会では市長さんの隣の席になり、雑談に花が咲きました。
気がつけば時間が過ぎるのを忘れるほど楽しいひとときでした。
12/10
朝一番、元常務の息子さんから連絡がありました。
お父様が救急搬送され、川島病院から日赤病院へ転院後すぐに手術とのこと。
そして「危篤状態」と聞かされ、胸が締め付けられるような衝撃を受けました。
奇しくも私も同じ日赤病院で、脳の検査と整形の手術後の診察を予約していたので病院へ向かいました。診察を終え、様子を見に行こうとしましたが面会は身内のみとのこと。息子さんにメールで状況を伺うと、手術は成功したと知らせがあり、少しほっと胸を撫で下ろしました。
午後は、公友会(日本政策金融公庫 中小企業部)の研修は終わっていたので、懇親会から出席しました。
帰宅後、今日は水曜日だったので社員たちは母屋で夕食を囲んでいましたが、私は疲れが出て早めに床につきました。しかし深夜12時過ぎ、息子さんより「父が亡くなった」との報せ。私は言葉を失い、涙が溢れ、止まりませんでした。
今日は多くの方が野菜などを届けてくれました。それがせめてもの慰めのように思えました。
12/11
悲しみの余韻が残る朝でしたが、今日は美馬市連合婦人会の理事会と防災訓練が予定されていたため、5時から準備に取りかかりました。
豚汁(具だくさん)と、鉄板を使ったお好み焼き・ねぎ焼きの仕込みです。
腰の痛みもあり思うように手が動きませんでしたが、キャベツや具材を切り、なんとか形に整えました。
10時から理事会、昼食を兼ねて防災訓練を実施しました。
こうして皆と一緒に活動すると、悲しい気持ちが少し和らいだようにも感じました。
午後からは、亡くなった元常務の葬儀に向けた準備に入りました。
今回は娘が中心となり、現常務が筆頭で進めてくれているので、私はそばで様子を見ることにしました。
私の役目は、最後に述べる「お別れの言葉」です。
メモに気持ちを整理し、明日朝、消防士に清書してもらう予定にしています。
静かな一日でしたが、涙と責任と、感謝を深く感じる時間でした。
12/12
元常務のお通夜は本日18時から、葬儀は明日13日の12時から執り行われることが決まりました。
午前中は石油会社を訪問し、その後香川の第一地銀の支店長が来訪。
借入枠について相談し、今後の方向性を話し合いました。
午後からは、明日の葬儀に向けてそれぞれ準備。
みんなで当時のアルバムを開き、遺影にふさわしい写真を探してくれたようです。
私は自分の担当である「お別れの言葉」を仕上げました。
言葉を選ぶたびに、在りし日の姿が蘇り胸が締めつけられましたが、感謝と労いの気持ちを込めることができました。
静かで重い一日でした。 明日、しっかりと見送りたいと思います。
12/13
いよいよお別れの日。葬儀が執り行われました。
私は11時に現地へ向かい、葬儀に参列しました。
娘は故人の経歴を朗読し、私は準備していた「お別れの言葉」を読み上げ、最後のお見送りをさせていただきました。
息子さんの挨拶は涙ながらで、深い感謝と尊敬の気持ちが強く伝わってきました。
改めて、長い年月の歩みと家族の絆を思い胸が熱くなりました。
静かで深い一日となりました。
夜は疲れを癒すためにマッサージを受け、身体を休めました。
12/14
日曜日は先週からの疲れが重なっていたため、石油会社さんへは大ちゃんひとりに行ってもらいました。
私はその間、お歳暮の整理をしました。
朝はお好み焼き弁当や焼き飯を作り、大ちゃんが戻るまでにもう一度お好み焼きを焼きました。
午後からも引き続きお歳暮の整理、経理のチェック、洗濯と、大忙しの一日。
疲れが溜まっているうえ腰の痛みもあり、動くのがひと苦労でした。
今週は
- 元常務のお葬式
- 美馬市婦人会の理事会と防災訓練
- 日赤病院での診察
- 保護司会の研修
と続き、後期高齢の私にはとても慌ただしい一週間となりました。







