兄は祖父の代からやっていた、家族経営の果樹園を両親と営むことになりました。

本人はまだ外で働きたかったのですが、無理だと判断した両親に説得され、しぶりながら農業を始めました。

私は結婚して家を出ました。

家を離れたら楽になれる、と思っていたのですが、これまでの生活で染みついた頑張り癖が邪魔をし、また母親とのいびつな関係性が、私の心を何かと実家の方に向けていました。

その後、実家に夫と共に戻る話になり、部屋をリフォームするなど具体的に進んでいたのですが、最後の最後で母と揉め、そのことがきっかけで、実家が機能不全家族であること、また母親が毒母であることに気がつきました。

これまでの私は、母親と仲の良い親子だと思っていました。

けれど、振り返ってみると、母は私の気持ちに寄り添ったり、受け止めてくれることはなく、自分の言うことは絶対で、自分がいつも正しい…、と信じていました。

そして怒ると激高して、手を挙げることもあり、その恐ろしさが刻み込まれた私は、反抗期もなく過ごしてきたのです。

ずっと息苦しいと思っていた原因が、兄の発達障害だけでなく、母との関係にもあったことに気づき、衝撃を受けました。

…それから2年間、私は母との連絡を一切絶ちました。

その④に続く。