受容 ~おまかせ・あるがまま・ケセラセラ・愛~ | いくこのブログ

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いくこの独り言

去年の年末にふとした瞬間に
やっと実感として理解できたのが、
『受容』

自分の目の前の現実は
すべて自分が引き起こしているし、
自分に必要なことしか起きていない♪

すべて受け入れるのが『受容』
それは出来ている♪って思っていたけど、

でも、

100点満点のテストで
90点しか取れなかったら、

遅刻しちゃったら、

やろうと決めたのにやりきれなかったら、

「そうなることが私にとって
      必要だから必然の結果」
と受容することに抵抗がありました…。
だって、なんだか言い訳しているみたい。
そんなこと言ってたら成長が止まっちゃう…。

レイキヒーリングを伝授していただいた時、
諏訪先生からも『おまかせ(受容)』の
考え方を学びましたが、その時も、
「なんかサボっているみたいに感じちゃう」
と質問しました。
すると、諏訪先生から
『おまかせ(受容)』=『悟り』
今まで悟りを開かれた人はお釈迦様しか
いらっしゃいません。
『おまかせ(受容)』は、
そうそうできるものではありません…。

当時は、そうなんだ~?と思いつつも
やっぱり実感として理解できませんでした。
それが、1年半経った昨年末に
突然、気づいたんです。

あ!物差しが違うんだ!
ものの考え方の枠組みが違うんだ!
価値観が違うんだ!

常日頃、私は、

ものごとには、
「良い・悪い」「正しい・正しくない」
「(能力等が)高い・低い」
の基準は曖昧だからないものと同じ。
特性論(量的差異)でものごとを
捉えると、足りないところにだけ
注目するので、欠乏感が生まれる。
欠乏感があると私はまだまだ未熟。
完全ではない。
足りないところを埋めるために
頑張らなきゃいけない。🔥
欠乏感は競争のエネルギーを
生み出します。
競争エネルギーは戦争にも繋がります。

と思っていたのに、
結局、その枠から
抜け出られていませんでした…。

…「満点」とか「やりとげる」とかを
  良し(○)としているから
  そうでない状態を❌として
   ❌のままでいいと思っていいんですか?
   なんて疑問が沸いてくる…。

「良い・悪い」「正しい・正しくない」
「(能力等が)高い・低い」の
物差しや枠がなければ、

90点をとった。

約束の時間の5分後に到着した。

やろうと決めたのはそこで、ここまでやった。

ってことだけですね。
そのことによって、
(『受容』できていれば)
先生や親や待ち合わせ相手に
怒られないってことではなくて、
怒られることも必然なので
ただそれも『受容』するってこと…。

「私は待ち合わせに遅れて
友達を怒らせる経験をしたかった」
というだけなのです。
魂は、いろいろな経験をしたくて
生まれてきていますから♪
『受容』はワクワクのエネルギーを
生み出します。
宇宙平和に繋がります。💓

そう考えると、
『受容(悟り)』って大変です。
ただ受け入れるだけ。
頑張りようがありません…。

特性論(量的差異)の枠組みだと
努力の余地、頑張りどころがあるので
気が紛れます。
でも、それは争いに繋がります…。

自分の目の前に起きる現実、
出来事も人もすべてジャッジせず
受け入れる。
まだ確信は持てていませんが、
『受容』って『愛』なんじゃないかな?
『ひとつなるもの』に戻ること
なんじゃないかな?


子供の頃、寝るときに
できるだけ全身の力を抜いて
空気と一体になるようにしていたのですが、
シータ波になるときも同じような感覚です。
それって、すべてを受容する
態勢なのかも。
自分の皮膚の内側と外側の世界を
統合する感じ。
ジャッジをするフィルターの皮膚を
なくしてしまう感じ。

よく瞑想が良いと聞くけれど、
瞑想がなんなのか、
どんな良さがあるのか、
よくわかっていませんでしたが、
自分の内側と外側の世界を
一体化することなのかな?

~~~
新元号が決まりましたね。
それほど興味はなかったのですが、
liveで発表をみました♪

「れいわ」の音と「令和」の文字で、
あ~未来の日本は、
世界は、地球は安泰だなぁと
ほっとしました💓
不思議と解説を聞く前に感じました。
色々と予想されたものもみてましたが
どれもなにも感じませんでしたが、
「令和」は優しいエネルギーを感じました。
『受容』のエネルギーが入っているなぁと
感じました。

ちょっとひっかかったのは…
安倍さんのお話しの
それぞれの花を
     大きく咲かせることができる」
の「大きく」が
「のびのび」とか「自分らしく」とかの
言葉だったらよかったな。