こんばんは〜💕
ブログにお越し下さり
ありがとうごございます😊


父の介護が始まりました

高齢の叔母たちの
負担にならないよう
母の病気がわかった時から
お世話になっている
ケアマネージャーさんに
相談することにしました


母にも父にも
可能な限りのサービスを
提供してもらい
ほぼ毎日誰かが来てくださって
なんとか生活ができました


仕事が早く終わると顔を見に

土日は一緒に買い出しと掃除


ケアマネージャーさんと
週に何回も連絡を取り合って

サービスを増やしたり

変わりゆく父母の様子を見て
リハビリを変更したり

手すりをつけたり

家の動線を考えた
家具の配置にしたり

今はこんなにも
介護のサポートがあって
本当に恵まれた社会に
なっていることに
驚きました


お陰で私もなんとか仕事を
続けることができました


その間にも
母が初期の胃癌になり
父が肝癌になり

母も父の介護のストレスからか
体調が悪い時があり
2人同時に入院となった
こともありました

その後
父が入退院を十数回繰り返し
約3年の闘病の末
虹の橋を渡りました🌈


救急車に乗ったのは4回
いつも何かあったらどうしよう
と思いながら父を病院に
連れて行きました

何度乗っても
あのドキドキは
慣れることはありません


お風呂の湯船で
動けなくなったこと
介護ベッドから落ちて
立てなくなったこと
熱が上がって様子が急変したこと

職場に電話がかかってくると
慌てて実家に向かったものです

父の最後の砦は
児玉病院となりました
見晴らしの良い
高台から見える景色は
とても素晴らしいものでした

こんなところで死ねたらいいな
と呟いていたのが
忘れられません

もう家に帰れることはないと
覚悟ができていたのでしょう


良くなって帰るよ

と声をかけたものの
私にも少しずつ
お別れが近づいていることの
寂しさと覚悟がありました

転院してから亡くなるまでの半年は
毎日欠かさず父の元へ


特別なものは休日しか用意できず
平日は仕事帰りに
コンビニやケーキ屋さんで
甘いものを買って持っていきました


私が行くと
毎日久しぶりに会うかのように
会いたかったんや〜
元気にしてたか?
とニコニコ

昨日も来たやん
とは言わずに

私も会いたかったよ

と話を合わせて
大好きな甘いもの食べさせました


お酒をやめてから
甘いものがすごく好きになりました
その年の最後の父の誕生日には
ホールのケーキをほぼ全部
食べるくらい

全く甘いものを食べなかったのが
嘘のようでした

飲み込みも悪くなってきたので
シュークリームのクリームだけ
もなかのこしあんだけ
柔らかいゼリーを少しずつ

お茶を飲ませながら
ゆっくりゆっくり

面会終わりの時間は夜8時
いつもギリギリまでいて
また明日

いつまで父と話せるのだろう

病室を出るときは
今日が最後かもしれない
と毎日思いながら


父にしてあげられること
私が出来ることは笑顔を
毎日見せること

私が後悔ないように

父が亡くなってから
幼い頃から父が言っていたことが
心に染み渡りました

今思えばたくさん大切なことを
伝えてくれていました

たくさんのことを
教えたくれました

その時は心に響かなかったことか
今は全てがよく分かる


親が子どもに最後に
教えてあげられることは

人はどんな風に旅立つのか
死に様を見せて
最後の親の役目を果たす

と聞いたことがあります
正にその通りだと思いました
私もいつかこうやって旅立つんだと

お父さんありがとう
私を私にしてくれて
本当にありがとう

ゆっくりゆっくり
休んで下さいね

そして残された母との生活が
始まりました