「柳沢さん、お疲れみたいですね」

 池田の声で目が覚めた。裕子は行きつけの神楽坂の美容院でうたた寝をしていたらしい。

「どう、だいぶ軽くなったでしょう?」

いつものように合わせ鏡で仕上がりのチェックをすると、襟足が見えるほど短くなっている。すっきりと目も覚めてきた。

「ありがとう。少し若返ったような気がする、元気がでたわ」

 支払いを済ませて外に出ると、出版社の桜の枝がまた目に付いた。裕子は急に桜の花が見たくなった。時計を見ると三時を回っている。板橋までの帰路を思い浮かべる、新宿御苑があった。地下鉄を四谷で乗り継ぎ、丸の内線で御苑前に出られる。帰りは新宿駅に出れば埼京線で帰れると裕子は算段した。新宿御苑には一度も行ったことがなかった。テレビで総理主催の園遊会を見たことがあり、桜が咲いていた記憶があった。


 地下鉄「御苑前」駅から数分で新宿御苑の大木門に出たが、門は閉ざされていた。正門に回ると、閉門時間を知らせるアナウンスが流れていた。裕子は帰途に着く客の波に逆らい入門する。受付でもらったパンフレットを広げてみると、日本庭園、フランス庭園、イギリス庭園と分かれていた。閉門まで三十分を切っておりすべてを回ることができない。門から近い旧皇族のための九ホールのゴルフ場があったとされるイギリス庭園に急いだ。


 地図を頼りに進むと、御苑の真ん中にぽっかりと空いた広場があった。これがイギリス庭園らしい。周囲を木が幾重にも囲んである。いずれも背が高い大木になり見上げるほどだ。空は重くどんよりと曇っていて冬空のようだ。木の上に雪が積もっている。よく見ると桜の花だった。染井吉野の薄いピンクの花が、灰色の曇り空を背景にすると、より白く映り雪が積っているように見えた。初めて見る光景だった。桜の華やぎはどこにも感じられない。一人で見る桜はあまりにも寂しく悲しい。「寒い」裕子は両手で自分の肩を抱いてひとり立ち尽くした。


 閉門を告げるアナウンスの声で我に返る。

「違う、これは桜じゃない」角館の桜は、もっと華やかで、手を伸ばせば届くところにある。宴会や屋台でにぎわう桧木内川の桜並木が懐かしい。

「裕子ちゃん、帰っておいで」

裕子を呼ぶ母の声が聞こえたような気がして、帰り道を急いだ。(完)