車は都内に入り、裕子のマンションの前に止まった。晴彦はトランクからキャディーバックを下ろし玄関に運ぶ。いつまでも下りない助手席の裕子に,
「ここで、お茶でもいかがですかって。大抵の女性は言うんだけど。君のうちお茶ない?コーヒーでもいいんだけど」
裕子の顔が明るく輝いた。
「はい。おビールもご用意できます」
車を駐車場に入れる間、裕子は急いで部屋に上がった。
「ピンポーン」玄関のチャイムが鳴る。
「はーい。お帰りなさい」
晴彦は、出迎えたエプロン姿の裕子を抱き上げ部屋に上がった。1DKの小さなマンションは、晴彦が入ると余計小さく感じた。
「なんだか学生時代を思いだすよ」
晴彦は懐かしそうに部屋を見回す。ダイニングテーブルのリンゴが爽やかに香った。
奥の和室にコタツを見つけた晴彦は、早速もぐり込む。
「冬はコタツが一番。そして冷えたビールを頼みます」
裕子は冷蔵庫から出した缶ビールとグラスをお盆にのせた。並べられた小さなお重に、晴彦は歓声を上げる。
「久し振りだな。母が亡くなってからは、正月らしいこと一つもしないからな」
「ご家族は?」裕子が何気なく聞くと、
「ハワイだよ」晴彦はさらりと答え、煮物を一口味合い、箸の手を休めた。
「母の味と同じだ。驚いたな。君に料理の才能があるなんて」
「母の受け売りです。きっと秋田の煮物はこんな味なのですよ」
「そうかお袋の味かあ。そういえば僕、君のお母さまにお会いしているかもしれない」
「え、いつのことですか?」
「ずっと昔、僕がまだ小さかった頃、叔父と角館の桜を見に行ったんだ。武家屋敷のしだれ桜の下で、乳母車を押した女性と会ったんだよ。その人が君に似ていたような気がする」
「社長も母のことご存じのようでしたけど」
「叔父が立ち話している間、僕は乳母車の中の赤ちゃんをあやして遊んでいたけど、君だったのかもね。どうりで君を初めてみたような気がしなかったんだ」
「その頃から遊んでくださったのですね」
棘のある裕子のいい方を気にする風でもなく、
「そうだよ、君といると心がやすまるよ。僕の初恋かな」
晴彦はいつの間にか横になり寝息を立てている。裕子は、そっと毛布をかけて電気を消した。
その日以来、裕子の部屋にはペアの食器と、晴彦の私物が少しずつ増えていった。