数日後,晴彦はサンフランシスコ経由で全米オープン開催の地ベブルビーチへ旅立った。普段スポーツ番組など見ない裕子であったが、晴彦がその場にいるかもしれないと思うと早朝からテレビ中継に釘付けだった。
この年2000年の100回大会は、タイガーウッズのための大会で四日間首位を譲らず、12アンダーパー、21バーディーと記録づくめであった。二十代前半の青年は、背は高く細身で笑うと浅黒い顔に白い歯が輝き、見る者を魅了した。
晴彦が出張から戻ったころには、総会の準備が整い当日を待つばかりであった。ゴルフクラブ製造販売会社「YAMAMOTO」は創業者の出身地である秋田に工場があるだけの小さな会社であるが、カーボンシャフトをいち早く取り入れ人気がでた。現社長の代に株式を公開したが、ほとんど創業者一族と地元の銀行、取引先で占められていた。株主総会といっても小規模で、ホテルの宴会場を会場にし、その後会食の運びとなる。この年の議題は、晴彦の取締役就任と中京地区にゴルフ場を新設する計画があった。
その日は六月の最終金曜日、梅雨の合間の晴天だった。晴彦はダークスーツにワインレッドとシルバーの縞柄のネクタイで会場に現れ、早々に打ち合わせのため控え室に入っていた。受付をしていた裕子は、しばらく振りで会う晴彦の姿を目で追うだけで言葉を交わす暇もなかった。
定刻に総会が始まり予定通りに議事が進行され、拍手で締められた。会場を一つ上の階に移しビュッフェ式のパーティーとなる。先ほどまでの緊張感が解け、出席者は和やかに談笑しながら移動していた。所属のプロゴルファーや芸能人らが既に会場で待機をしていて、華やかな雰囲気を盛り上げる。地元出身の代議士が乾杯の音頭をとるとシャンパンの栓が一斉に抜かれた。晴彦が紹介され取締役就任の挨拶をする。フットライトを浴び壇上に立つと拍手の嵐が起きた。
「私は先日アメリカの名門ペブルビーチリンクスで開催された全米オープンを観戦してまいりました。ミレニアムで湧くこの年に相応しいスターの誕生は皆様がご存知の通りです。タイガーウッズという清清しいプレーをする若者の出現により、ゴルフ業界はさらなるブームを起こすことになるでしょう。このような記念すべき年に取締役という大役を仰せつかりました事を、大変光栄に思うと共に、「YAMAMOTO」の更なる発展のため。皆様のご期待に添えますよう頑張る所存でございます」
晴彦は会場を見渡し、深く一礼をした。壇上を下りた晴彦は、グラス片手に会場を挨拶して回っていたが、会場の隅で見守っている裕子と目を合わすこともなかった。
やがてパーティーもお開きとなり、客はゴルフボールの土産を手に上機嫌で会場を後にした。社長や役員を送り出すと、別室に食事が用意され秘書課と総務課の社員の慰労会が始まり、裕子はテーブルの端に真美と並んで座った。
「柳沢さんいいですね。山田取締役の担当で。取締役って本当にカッコいいですよね」真美は興奮冷めやらぬ様子で、晴彦のことを話題にした。適当に相槌をうちながら、裕子は晴彦のスピーチを思い出していた。
スーツのポケットが揺れ、携帯のバイブレーターが着信を報せる。裕子は急いでトイレに立ち、携帯を取り出すと晴彦からの伝言が入っていた。
「お疲れ様、パレスホテルで待っています」酔っているらしく少しロレツが回らない話し方だった。裕子は野田と真美に挨拶しそっと会場を後にした。(つづく)