裕子は東京駅八重洲口のデパートの婦人服売り場に直行した。黒のスーツを選び、同色のパンツを組み合わせた。エスカレーターで下ろうと思ったが、上の紳士服売り場へ向かう。昼に見た晴彦の汚れた袖口を思い出したのだ。ワイシャツは沢山並んでいたが、晴彦のサイズがわからず選ぶことが出来ない。晴彦の携帯の番号を探し近くの公衆電話へ走った。番号を確認しながら一つ一つ押す。晴彦が出てくれることを祈りながら、裕子は呼び出し音を数えた。

「もしもし」

聞き覚えのある声でほっとした。

「あのうー。柳沢ですが」

「ああ君か。どうしたの」

「今、大丸にいるのですが。ワイシャツのサイズを教えてください」

晴彦は特に理由を聞く訳でもなく、ブランド名とサイズをすらすらと答えた。

「ついでに靴下も頼むよ、パレスのロビーで待っていて、すぐに行くから」 

裕子の都合も聴かずに晴彦は電話を切ってしまった。初めての買い物は少し気恥ずかしさをともなったが、晴彦のワイシャツと靴下、ハンカチを買い揃えると、今まで感じたことのない充足感があった。

 

 夕暮れの中、会社から家路に急ぐ人々の流れに逆らいながら裕子はパレスホテルに向かった。フロント前のロビーは待ち合わせの客で座る椅子はない。正面玄関の見える位置に立っているとベルボーイが裕子の名前を呼びながらまわって来た。

「はい。柳沢ですが」

裕子が声をかけると「山田様から」と封書を渡された。開封して中をみると晴彦からの伝言だった。

『少し遅くなりますので、荷物を部屋に入れておいてください』

買い物袋は両手に二つあった。晴彦の指示通りフロントに行きキーを貰って部屋に上がった。昼食後、晴彦がベッドに横たわった様子はなく部屋の中は整然としていた。

 窓際に立ち皇居に沈む夕陽をしばらく眺めていた。「何て目まぐるしい日だったのだろう」裕子は灯りもつけず、今日一日の出来事を振り返っていた。明日からどんなことが起きるのか、予想すらつかなかった。

 購入したワイシャツなどを袋から取り出し、ドレッサーの引き出しの中に入れた。ノックの音がし慌ててドアを開けると、ルームサービスが白いテーブルクロスの掛けたテーブルを運び入れた。真紅の薔薇の花篭が置かれ、白いナプキンとワイングラスが並べられた。サイドテーブルには、氷を入れた銀色のバケツの中にシャンパンが一本用意された。部屋中が甘い花の香りで満たされたころ、裕子は空腹感を覚えた。腕時計を見ると九時近かった。晴彦からは何の連絡もない。携帯に連絡をしてみようかと何度か受話器に手をかけたが、移動中かもしれないと思い留まった。テレビのスイッチを入れると、ニュースの時間だった。パンプスを脱いでソファに横になる。裕子はいつの間にか寝てしまい夢を見ていた。

   

  裕子は白いレースのエプロンをつけ夕食の支度をしている。

  チャイムが鳴り、夫が帰ってきたようだ。

  いそいそと迎えにでる裕子……。


「裕子ちゃん、ただいま。遅くなってごめんね」

耳元でささやく晴彦の声に、裕子は夢と現実の狭間をさまよった。晴彦は呆然としている裕子の肩を抱きしめた。(つづく)